3/15 の日記
Google、RSSリーダーやめ(安全装置作動によりその後のもじりを削除)
今やtwitterで事足りるしなぁ、かどうかは知らないけど、「RSSの時代じゃない」「ブログの時代じゃない」みたいなことを言う人への一番の違和感は「世界はあんたと同程度のネット歴・あんたと同程度のリテラシーの人だけで回ってるわけじゃないから」だなぁ。
「もはやコロコロコミックの時代じゃない」えー、自分が卒業したことをそういう風に大げさに言う性分なんですね、みたいな印象を持つ。
あと「ニュースはtwitterでわかるしぃ」、という見解には、「仮にそれが成り立つとして、あなたがあなたのコミュニティによって情報収集(って何)できているのと同じだけの便益をあなたがコミュニティにもたらしているという自信はどこからくるの。その自信なしでコミュニティベースで情報収集(って何)が回ってる実感がなんで得られるの」という返しがございます。
PoIC(4)
大箱はまだ使っていない。これまで買った小箱があるのでそれでやってる。必要に応じてピックアップするまでは一切カテゴリ分けしない、と決めると確かに楽だ。今までカテゴリ分けをしては自爆していた。カテゴリを作ると、カードを作った後の仕分けに処理を必要とするので、だんだん書くのが億劫になる。
それに、カテゴリ分けでいちど失敗すると、カテゴリ分けに使った「インデックスカード」が失敗の残骸として残るのが痛い。絶対に分類に迷いのないインデックスは「今月」「ここ3ヶ月」のような、時刻に関するものしかない。
私はあいかわらずです
上の難癖も「もし日本が鎖国してボードゲームが一切海外から輸入されない、ってことになったら、自分の趣味をどういうふうに考えますか?」みたいな話と同じ根っこだなー。そのときは、「そうなったとき手元に残るものを本質的な要素と見なして自分を育てたほうがいんじゃないの? 」……みたいなことを言いたかった。
あいかわらずではあるけど
web日記を自分の生活フローに組み込む目算は立ってません。
3/14 の日記
花粉
今年はまだ、目が痒くてたまらない、というほどの花粉にはなってないなぁ。日本の西の端だから安定してるのか……。
はてなスペース(3)
運営のスペースやその他の場所で、なんかそこにコミュニティがある、みたいな前提で「人が来ればコミュニティが盛り上がるのに残念」「入ったけどそのコミュニティで何を話していいかわからない」みたいな話になってるみたいだ。
たとえばmixiのコミュニティって「わたし**好きですぅ〜^^」なんつって自分のプロフィールページに属性アイコンを付けるためだけのものだし、入ったコミュで発言した記憶なんてほとんどないことを思い出せば、「インターネットに人が集まれば、テーマごとにコミュニティが形成されて、そこで情報交換して盛り上がるはず」なんて、ほとんど寝言みたいなものだと、判りそうなものだけど。
私は部屋で楽器を弾いている。壁越しに何やら隣の部屋でやっている音も聞こえる。それはそれとして私は私のひびきを大事にしたいと思っている……思っているが、人もそうであるという実感はほしい。インターネットになにか書いてみるっていうのは、せいぜい、そんなもんじゃないのかね。いきなりドアのチャイムがなって「こんにちは、ジャズギターされるんですね^^ こんど**をやろうと思うんですけど、よかったらいっしょにあわせませんか?」ワーオ、出会い、コミュニティ、インターネット万歳。しかしそうなることが本意ですか? チャイムが鳴らないと「このマンション過疎ってるわ〜つまらんわ〜」ですか?
もっと他人に(表面的には)無関心になるべきじゃないのかねー。
3/11 の日記
「愛、アムール」(映画)
介護、ときどきサスペンスフル。ときどきコント。
絵が3枚(4枚?) 大写しになるところで、何かが夫の中に起きたのではないかな。それでいきなりの娘の訪問に泡を食って寝室に鍵をかけるなんてことをしてしまったんじゃないか。不可解なシーケンスだけど、強いて解釈するなら「頭の中で妻を殺していたところに娘がやってきた」とでも考えるしかないんじゃないか。
つまり、夫の心の動きを丹念に追って楽しむ映画なんじゃないか、と思いました。
最後、冒頭から予想された通りに夫は妻を殺す。しかし、実際にその行為に至る、あの長回しのシーケンスは、妻が最後、コント的に「あうあうあー」と呻いて夫の話を台無しにするのかと思った。その前の、水を飲まなかったりものを食べなかったりするコント(そう思います)からの天丼もあったし。
しかし、そうはならなかった。意外なほど唐突な殺しだった。逆に言えば、それはほんとうに「どっちでもよかった」ことなんじゃないか。夫はあそこでとっさに妻を殺すこともできたし、殺さないこともできた。それまでも、その二つは常に重なり合っていた。
ぞっとするシーンはいろいろあるけど、印象深いのは「おかあさんはちゃんと病院に見せたほうがいいんじゃないとね、もう少しいいお医者さんがおらすとじゃなかと?」(熊本弁に変換された)にマジレスするシーン。怖いねぇ…。
テレビ
語り継ぐものが「死なない知恵」になってしまって、急に「千年後の子供達に」と話がでかくなる。千年後! 「未来の考古学者がインターネットを見たときにブログは資料になる」なんて思ってブログを書ける奇特な神経の方が、よのなかには、いるのだろう。
4月に「ライク・サムワン・イン・ラブ」のDVDが出る予定で、これはファンドでお金を先払いした私のところに届くことになっているのだけど、語り継ぐものがあるとしたら、この映画を見ているとき、2時間ずっと下腹に感じるものに近いものなんだろうと思っている。
2/26 の日記
微熱
もう、あんまり遊ばんようにしないとな。
ゲーム・オブ・スローンズ(5話)
5話まで来て、それまでの原作再現確認だったのがぐっとアクセル踏み込んだ。いやー面白い。予算のかかりそうなアイリー城をばっさり切って、ロバートとサーセイの会話のシーンを入れたのは心憎いばかりの英断。原作2部までしか読んでないので、レンリー・バラシオンのエピソードも知らなんだ。
この番組でええ顔を撮られたら死亡フラグだが、今回はティリオンの連れが別の意味でええ顔であった。
7月にBD発売とのこと。
PoIC (3)
箱を注文したぞ。
これは要するに、自分のレビューを、なるだけ簡単に、システマティックにやれ、ということなのだな。あなた、そのきれいに書いた帳面、翌日見ても、翌々日から後は、ほとんど見ないでしょう? という。
2/23の日記
シェフ!(映画)
びっくりするほどわかりやすい。日本のドラマでももっと主人公に障害を設ける。主人公は伝説のシェフのレシピ本を熟読して頭に全てそれが入っているが、かといって頭でっかちなわけではなく、手も動く。周囲の反感を買うような慢心もない。嫉妬もない。なんにも考えずに笑える映画だった。
食べ過ぎた
その後、帰熊したSたちに合流。
PoIC (2)
箱と仕切りを入手しなければいけない。コレクト社の製品に完全に依存してしまうのがちょっとどうかと思う。
2/22の日記
猫の日
ペットショップで寝床の縁に顔を乗せたまま寝ている猫を見ました。
はてなスペース(2)
ツンデレのデレフェイズはじまった、というか、「僕が一番上手にはてなのサービスを使えるんだ!」的な慢心からちょっと使ってみてますが、久しぶりに、これはいいものなんじゃないかと思えてきましたよ。
とはいえ、「**について語り合いましょう」「**の情報を共有しましょう」といった運用には、興味なし(はてなブックマークの「タグ」に大きな有用性を感じないのと同じ意味で)。
トピックがどんどん作れそうだ、というところが、いい感じに思える要因。不可視やロック状態にできるともっといいので、要望を出した。
トピックがどんどん作れるとどうなるか。トピックに所有者と終わりが意識されるようになる。「みんなで雑談」「みんなで情報共有」まぁそれはそれで結構ですけど、トピックっていうくらいなんだから、トピックを立てた人がいて、その人の気が済んだらそのトピックは終わりにすべきですよ。
githubのイシューに「なんでも気になることを書きましょう!」っていう項目を立てたりしないのと同じ。あと小町に「婚約相手の異常な言動について語り合いましょう!」みたいな項目が立って数年間盛況だったりもしないじゃないですか。
ひとつのトピックを「ブログをまともに書けない人が、ちょびちょび情報を積み上げていける場所」みたいに解釈すると、いろいろ面白いんじゃないかなーと思いました。
PoIC
大仰なことをやってる人もいるもんだなぁ、と遠巻きに眺めていたが、ドキュメントを読むと、かなり周到に考えられた、経験に裏打ちされたシステムだな、と感心した。
なにより、自分の頭との親和性が高い。
「いつか使うかも」と思って検索キーを付けてため込んで「Evernoteに5000件ノートが溜まりました^^」とか、アホか(詳しく言えば、「それは頭の枠組みが固まった利口なあなたが<情報収集>に使うメソッドとしては有効かも知れんが、それを一般に薦めるのは無邪気というか、下々の頭のことがわからぬアホだな」)、としか思えない人は、いちど試してみるといいんじゃないでしょうか。その経験に基づいて、他のいろんなものが使える(あるいは、騙されて使わずに済む)。