土曜日

昔は授業で道徳の時間があったのにそれがなくなったのが、あたしたちの堕落の原因だと真顔で言う人がいるという、でもそういう人は修身の時間がなくなったときに同じようなことを言われていたのだと思う。グレート。

さてあたしのクラスであたしの角を巡って何度目かの諍いが起きたとき、何度目かなどといってもそれはあたしの中ではほくそえみ日記につけることなのできちんと数をかぞえては居るのだけれども、小5の6月、文枝があたしの角を両手でつかんであたしを投げ飛ばしたことがあって、そのとき担任の先生(大学を出て2年目にあたしのいるクラスにあたるとはかわいそうだった、半年でやめた)は、半日授業をつぶして涙ながらにあたしたちに訴えた。

「いいですか、人をそんなふうに牛や馬みたいにあつかってはいけません、それはやってはならないことです、そう扱われることが人間としてどんなに屈辱的なことなのかあなたたち考えたことありますか。」

論点がよくわからないまま、感情的なお説教が本当に半日つづいて、あたしは泣きたくなった。あたしはまだ、自分の役割というものについて今ほど理解していなかったので、そのときは、あたしがわっとどこかで感情を爆発させればドラマの終わりがくるのだろうと、そういうふうに考えた。3時間目の終わりごろ泣く準備をしていたら、それに気づいた玲奈たち(しかしなんでこんな、チャットのハンドルみたいなダサい名前をつけるのだろう親は)が「うそ泣きすんな」と書いた紙礫を投げてよこしたりして、それがまた具合わるく先生の目にとまってしまい、話はどんどんややこしくなった。

そうだ、たぶん5年の夏休みにパソコンを買って貰うまでは、そのようにしてうまいことものごとは廻っていたのだと思う。ネットを始めてからは……

「言葉による虐めが非道くなっていったんだね?」

ボイスレコーダーのスイッチをときどき胸の上でいじりながら、柏木さん(けっきょく身分は明らかにしていない)は、話をまとめようとした。

「いや、そうではないんだけど……」

「じゃぁ、何だろう?」

それをでっちあげるのがおまえの仕事だろうと、怒鳴りたくなる。結局自分のオリジナルな発想なんて何もないじゃないか。あたしは別にあたしの言動がどう解釈されてもいいけれど、「じゃぁ、何だろう?」はないよ。

「そういう質問の仕方したら、彼女、怒るでしょう?」

「え、彼女いるって話したっけ?」

やめた。きっとこのひとは童貞にちがいない。

この感覚。何を言っても相手のいやしい言葉の中で処理されてしまうこと。<自分に都合がわるければあぼーんですか?><必 死 だ な><また嘘泣きかよ、逝ってよし>……あたしの発明した言葉を無神経に踏みつぶすような、目の粗い煽り文句、そのいやしい言葉を使って馴れ合っていく以外に状況を運転していく方法がない、という、その感覚がとてもあたしを絶望させたのだけど、これはたぶん、「ネットの掲示板での度重なるいやがらせに耐えられなくなった」などと報道されるのに、違いない。