(上のいいかげんな話を受けての)解決編

「…という話なんだ」
「実話なのか?」
「100年以上前のロシアの出来事だよ。そして、その話を元に作ったカードゲームが、これなんだ。」
と、にこやかに笑いながら、メルは懐からブリッジサイズのトランプ大の箱を取り出して、テーブルの上に広げた。
カードには、想像したのより具体的に、寓意画ふうのイラストが描かれていた。
「これが、黒い稲妻…だね。<感情的な恫喝>というカード」
黒い荒々しい線が、ぎざぎざに走り、女と山羊が口を開けて驚いている。
「恫喝?」
「自動人形にかけたカードが、人形の応答のプログラムだったのはわかるだろ。ここにある<感情的な恫喝>や<不必要な慇懃>といったカードを、人形売りはプログラムとしてセットした、ということになっている。プログラムの手順ではなく、振る舞いのパラメータセットをいきなり設定できたのだとしたら、画期的だろう? 仕組みはわからないけどね」
バベッジのコンピュータは、何時のことだっけ?」
「なにそれ? よく知らないけど」
「今、知らない振りをしたな」
「私は銘探偵だからね。くだらないことに詳しいと損をするんだ」
メルは肩をすくめた。
「プログラムね…。しかし…たったそれだけのことで教師が絶望したのは何故だろ…」言いかけて、私は口をつぐんだが、遅かった。

メルは口を大きく横に開いて満面の笑みを浮かべた。
「わからないのか?」
「いけないかい?」
こういうときには、逆に高圧的に出るしかない。
そして常にやりこめられるのだが。

メルはカードを一枚引き出して私のほうに差し出した。言い争う二人の男が鏡合わせのように対称に描かれている。
「今の君の態度は、<質問に質問で返す>だ。100年前のロシア人の知恵に劣るね君は。実に興味深い。勿論ロシア人のほうが、だが。このカードには、今ネットで読むことのできる議論や屁理屈の、あらゆるパタンが凝縮されていると思うよ」
私は唇を噛んだ。メルは意に介せずカードを混ぜたり並べたりしている。
「つまり、人間の愚かさに関する真理が全て含まれている、と教師は思ったんだな。もっと極端に、このカードの組み合わせによって、人間の基本的な感情がプログラムされる、と考えたんだろう」
なるほど。それで本は要らなくなる、と思ったのか。可哀想に」
「可哀想というか、愚かだね。くだらないことを信じて。私の複雑な感情はとても50枚のカードでは表現できない。君ならどうだかわからないが。」
「…」

「…しかし、教師をそう愚かと断じていいわけでもないよ。彼は、人間的な反応と思われていること全てがプログラム可能かもしれない、という衝撃にうちひしがれながら、目の前で繰り広げられる答えの出ない教義問答にも、絶望したのではないかな」
「十字が神を冒涜しているとか、どうとか、か。確かに、彼にとっては、どうでもいいことだな」
「あらゆる事象がカードの組み合わせによってマップできるかも知れない、という幻想を見てしまったのだからね。中身なんてどうでも…君だって、今私に、今のは<質問返し>だね、なぁんて、パターン的に処理されたら、不愉快になって、カードの絵柄なんてどうでもよくなるだろう?…あぁ、<不愉快>のカードは君にはあったっけ?」
「ふん」
モヒカン族だな」
「え?」
「十字架のカードだよ。議論の対象になった。<モヒカン族>という比喩の妥当性について議論が始まったりすると、ずいぶんつまらなくなるだろうね。かたや、単なるネタ、かたや、もっと適切な比喩があるはずだと、広場の人々のように…」
「君はときどき飛躍したことを言って自説にこじつけるね。結局それが言いたいだけなのか?」
「まぁね。しかし、十字架っていうのはこういう形をしてるってことは、想像したかな?」
そう言ってメルは、嬉々として一枚のカードを取り出して、私の前に置いた。
ロシア正教の十字架が、二本の横棒と足もとの一本の斜め棒で「モ」の字を描いていた。