匿名の問題ではなく文責不定の問題だと思う

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060216/jinbutsuwikikirai

wikiに不特定多数(「みんな」)の価値評価を書くのは僕も大嫌い。ululunさんが腹を立てているのは気分としてよくわかるんだけど、その根拠が少し違う。

「匿名で悪口を言うこと」ではなく、「文責が定かでないこと」が問題。一人が編集した瞬間、あたかも複数の人の査読・承認を経たように、ぬけぬけとwiki空間に存在してしまう、というのがおかしいと思う。

「文責が定かでない」ということを問題にしないと、悪口を書かないwikiが無条件に「よいもの」になってしまう。その最たるものがwikipediaに対する信仰だと思う。

wikipediaに、あるアーティストの身長を書いたらすぐに誰かが消す、という話題を面白可笑しく伝えた出来事があった。

この件に関するはてなブックマークなどでも、ひとしきり笑ったあと、「wikipediaでそんなことするなよな」という意味のコメントがついていたりしていた。

しかし、これは意味が分からない。なぜwikipediaではダメなのか? wikipediaが「洗練された」情報を置こうとしているところだからなのか? ならば、そもそもその「洗練」はどうやって生まれたのか?

「ここはみんなが列を作っているところだからお前も並べよ」といった常識レベルで空気を乱さない振る舞いを要求していることは理解できる、のだけど、本質的にそれには根拠がない。

(当たり前ながら)wikiに善性があるのではなく、それを使っている人の営みに善良な部分があるのだ。wikiの使い方そのものに善も悪もない。誰かがバカな事を書いて、誰かがいいことを書くだけだ。

「バカな事を書くな」と、自分が書いて(消して)いることを、記名性の下に表明するのだって自由。ululunさんのエントリを読んで「wikiはみんながちょこちょこ書けるからいいものなのに、こいつ不粋だなぁ」と思ったら、それは2chでよくおきるのと同じ、同調圧力って奴なんじゃないですかね。