はてなSNSについて、難癖をつけた経緯と心情のまとめ

ここ数日のまとめ。

で引用された自分の受け答えがあまりにふにゃふにゃだったので、それへの補足も含めて。

前提

私は「はてなSNS」について、以下の二つの事実は、前提として認めています(指摘をいただかなくても理解しているつもり)。

  • はてなSNS」は、ユーザがすでに公開している情報を集約して再公開したものである。
  • はてなSNS」は、技術的には誰でも「はてな」以外の場所で公開可能(はてながフィードしているRSS群を取得することで可能)である。

疑問に思った点

はてなSNS」の公開にあたり、上の前提をふまえてもなお、以下のような感想・疑問を持ちました。

  • はてな社は、ユーザの情報に関する見た目を、同意なく勝手に作った」という、印象を抱いた。
  • RSSがインターネット上で公開されていて第三者が自由に集約可能であるとしても、自分が情報を預けている場所の、当のその運営者が集約を行ったことには、社会的な意味が生まれると思った。
  • ユーザは公開に同意しているから、その再集約には、法的な問題は、基本的には<ない>と自分も思うが、完全にシロであるとも思えなかった。
    • たとえば、今後もっと見た目の酷い集約ビューを作られたときに、自分がそのような見た目を望まないユーザになったとして、「公開には同意しているのだから、いやならやめるしかない」という論理でやめてしまうことが、起きるかもしれない、と想像した。
    • これに対して修正を要望する道筋がないのは、ちょっとおかしいのではないかと思った。
    • 見た目の酷いビューを作られたらデザイン面で不満である、と指摘をすればいい、という考えもあるかもしれないが、そもそもの根は、やはり「ユーザのコントロールが及ばない場所に勝手に集約ビューを作る」ということにあると思った。

idea:8786について

自分は「はてなSNS」によって直接不愉快さを感じていない(もやっとはしますが)ので、アイデアが実装されることによる自分へのメリットはありません。

しかし、私が idea:8786 を見たときに、上のような気分・印象論について、全く考慮されないだけでなく、もっと積極的な「不愉快なユーザは日記を非公開にすればいいのに」という意見が主流になっているように思えたので、何か言っておきたいという気になりました。

idea:8786での私の書き方が感じ悪い件について

すいません。

予想される反論(1):同意している筈だ

個人の公開した情報の再構成の見た目や切り口に関してまで想定されているかどうかは疑問です。

それから、上の利用規約は基本的な同意事項なのであって、細かな項目は、別途下位ルール、あるいは慣習によって、規定されてよいと、考えます。

逆に「利用規約に同意した以上、それをクリアしていることは何をされても文句が言えない、嫌なら去るだけだ」ということを、本気で思ってる人が、どれくらいいるのか、知りたいです。

予想される反論(2):足を引っ張っている

  • 「人文的な影響を持ち出す感情論は判るが、それは技術のエッジを丸めて世界をつまらなくしてしまうことにならないか」

つまり、「技術の足を引っ張るな」ということです。これには私は明確な反論はありません。一種の感情論である「**されると不愉快」に対して、さらに「不愉快とかいうと面白くなくなるのでそんなこと言うな」と返しているわけなので同じ土俵になったという…(あぁいや、これは皮肉ではなくて冗談)。

そのせめぎ合いが議論になるだからそれでいいのだ、と開き直るつもりもありません。実際感情論が邪魔になっていると思います。

これには、いろいろ「きれいな」答えはあると思うのですが…

  • はてな」には感情をラップした技術の実装を期待している
  • 「感情」を、技術の足を引っ張るお荷物として捉えず、エンジニアリングの対象としてもっと重視してもいいのではないか。

これらを、自分の意見としていいかはよくわからないです。

誰に向けて話したいか

今回、idea:8786 は実装されましたが、これは勿論、誰の(賛成派、反対派というのがあるとして、そういう「派」の)主張が正しかったといった答えではないでしょう。

ただ単に、運営の人(「はてラボ」の場合は余技だからそのまま開発者に振られるのかな)が、開発コストその他とのバランスを考えて、別に実装してもいいと判断されたからそうなった、と認識しています。

私は、結果としてアイデアが実装されることを、それほど期待していませんでした。

「技術的には誰でも出来ることなのだから問題ないよ」「嫌なら公開しなければいい」という主張が主流になってしまって、不満が表明できず「嫌な感じするけど、やっぱり公開をやめなければいけないのだろうか…」と思ってしまう人がいるかも知れない。そういう意識があったのだと思います。

できれば、そうやって困惑している人の目にとまってほしいと、思いました。

(アイデアを立てたid:Yuichirouさんとも共通*1している姿勢かもしれないと、Yuichirouさんに勝手にシンパシーを感じました。このあたり、炎上芸と言われれば、そうなのかも知れない)

「嫌ならやめればいいのに」という言葉を読んだ人が、それを真に受けて、やめたりすることが減ればいいと思います。

「嫌ならやめればいいのに」(「不快ならプライベートモードにすればいいのに」)というのは、最終的には正しいかも知れませんが、いつでも、誰でも言える、ただの確認でしかありません(そんな部分の意志決定について人からなんか言われる筋合いなど、ないと思うし)。

対話の相手と手法について

idea:8786では、id:yukichi99さんと主にやりとりをしましたが、必要以上にidを連呼したり喧嘩腰で話を進めてしまったこと、あと(これが一番問題だが)あまり正確でない誘導的な意見の引用、は、ちょっと汚かったと、自分でも思います。すいません。別にプロレスでああ書いたわけではなく、腹立たしかったのは事実なので、ガーっと書いちゃったんですけども…

お相手いただいてありがとうございました。

id連呼になりがちなのは、私は文章が曖昧で、一般論になるとすぐに飛躍したことを書いてしまうので、常に反対意見の人に話を限定しておきたい、という意図も、はたらいています(必ずしも街宣車まがいの恫喝ではない)。

付記:idea:8786で一部の主張を取り消した理由

これもまぁ足元を掬われたくなかったので早々に引っ込めた、というのが一番正しいのですが…

「b)はてラボはログインプロセスを含んでいるから純粋な第三者サービスとはわけがちがう」

というのは、言いがかりでもあるし、書いたあとで、それって認証APIが公開されたら正しくない…と思いました。

無理矢理一般論にしときますが、この手の話で、ある主張が納得できるかできないか、ということは、非常に限定的な「現在の技術」に依存していると思いました。自分自身気をつけたいと思います。

あと

自分のことばっか書いてすいません。コメント欄の他の方の意見は私もいろいろ参考になりました(視点・穏当な書き方、その他…)