はてなは身内の意見を重用する企業だった(スクープ)
自分に近い人の意見を重用するのって、仕方のないことじゃないのだろうか。
こういう言い方には語弊があるか。
身内であれなんであれ、機会としてそういう意見が「ある」のだから、無視するより利用してもらったほうがいいような。ほかからうさんくさいと言われようとなんだろうと。
意見を拾ってくるセンスがよくない、下手だなぁ、ということはあるかもしれないけど、不公平だって怒る理由はあんまりないような気がする。
以前あった「ユーザ主催の集まりにはてなの人が顔を出して、そこでのコメントを検討しちゃった」話と、今回の蝗どうこうと偉い人が進言したら通っちゃったらしい、という話が同じ俎上にならべられて、ほら「はてな社」はそういう会社なんですよということになってるみたい。
そりゃ、特定のユーザの話を聞く機会を継続的に持とうとしてるのなら、問題があるかも知れないけど、そうじゃない場合、<たまたま縁があった>とかいう日本語で処理しませんか。
身内(古参?)重用=不公平、と、ことさらに印象づけている文章を読むと
「朝のコーヒーの値段でアフリカの子供にワクチンが買えるのに、友達の家が火事になったときだけ何万円もカンパするなんてお前偽善者だな」みたいなことを言われてる感じがする。
それを偽善と呼びたければ、偽善者ですかね、という答えになる。
あとゲーム的には、ダイスで何の目が出たからってそのことだけグチグチ言われてる感じ。ダイスの出目と、そこから起きる事の間に因果関係はある。でもそれは、そういう状況が与えられた、というだけ。