最近の雑感

a.じぶん操縦

自分がADHD「の傾向がある」と思ってあれこれ書くと、本当にそういったこと(他の病気でもいいけど)で通院したりしている人に不愉快に思われてしまうのかも知れないな、と思った。

  • それとは別に、お前ただADHD言いたいだけちゃうんか、というのは、確かにそうかも知れない。しかし自分としては自分のあたまの傾向に合ったやりかたがみつかればそれでいい。
  • 自分にADHDの傾向があるかも知れない、と思ったことに対して「それって怠惰って言うのでは」「何かひとつ目標を決めるところからやればいいのでは」というのは正論だけど、通じなさそう。
  • 私が「通じなさそう」と言っていることそのものが、これまでの生活習慣の奴隷になっている(怠惰な自分からほんとうに抜けだそうという意志がない)だけなのかも知れないとは思うけど。
  • ところで、フランクリンプランナーという手帳があって、これにはまず、自分の「人生の価値」をいくつか書かなければならないことになっている。そこからトップダウン式に、自分にとって価値のある目標を立てて、そこからさらに今日の行動の優先順位が決まるようになっている。…こういった極端な目標達成型のじぶんマネジメントをすんなり受け入れられる人は多くないのではないかと思う。
    • いやその相対性を突きつけるわけではないが…「何か一つ目標を持って」だって、経験から来てる民間療法なわけだから、だいたい効くことはわかっても、万人に効くとは限らない。

b.オタリスペクト

村上隆OTAKU作品に高い値段がつくことに、「オタクへのリスペクトが足りない」と腹を立てることについて脳内で変換してみた。

  • マホガニー材を使ったン万円のモノポリーのセットとか、ルイヴィトンのトランプケースを見たときに私が感じるもやもやに似たものだろうか。あるいは人生ゲームがボードゲームとして売れていることに対してのもやもやとか。
  • だとしたらそこからリスペクトという言葉は出てこない。へぇ君たちの星ではこういうもののことをゲームと言うんだね、と思うだけだ。勿論「ふん、私たちの星の標準を知らないのか」という感想はあるが、表だってそれは言わないし、相対的なものだ。
  • リスペクトが足りない状態→リスペクトフルな状態になる、とはどういう変化だろうか。後生大事に家にその高額モノポリーセットをひとつ買って持って自慢している小金持ちの人が、なにを思ったかぶらっとゲーム会にやってきて、「なんだ、今ボードゲームってものすごいことになっているじゃないか!」と覚醒してカタンやなにやらをやりはじめることか。
    • そういう人がカタンやりはじめたら、マニアは「はぁカタンっすか、まぁいいですけどね」とか言うんだろうけど。
    • その人がカタンをやりはじめた時間というのは、他のことをやらずに作った時間なわけだけど、そのやめてしまった「他のこと」がこちらから見て面白そうなことだった場合、それは幸せになったと言えるのか。
  • 結局のところ「リスペクトしろ」とは「我々と同化しろ」であり、ゲーマーの使う「引き込む」といった言葉遣いにその傲慢さの一端を感じ取ることがある。
  • 同化というのは都合のいいこちら側の想像であり、じっさいにあるのは文脈の違いという誤解に基づいた接触のみ。その接点を通じてしか伝えることはできない。

c.はてなハイク

http://h.hatena.ne.jp/keyword/g%3Afragments に書いたこと再掲。

オフィスのゴミ箱がある時期「再生A」「再生B」「再生C」みたいなラベルが貼られてしまい、ものを捨てるときにこれははたして再生AかBかCかということを考えなければいけなくなった。頭にきたので自宅からゴミ箱を持ってきて自分の席の下に据えた。何か言われたら「とりあえずここに入れて後で仕分けします」と言うことにした。おれにとってのはてなハイクのイマイチ感はそのへんにつながっている。

ところで上のキーワードの下にはどなたでも「発言」「おえかき」することができます。「お題」ではありません。どうぞご自由にお使いください。