予告と実況

私にとってショックだったのは容疑者がweb日記を書いていたことで(予告とか実況とか何のこと? って感じだ)、いろんな人が、Twitterなんかで独り言を無数に書いていることと、かれの日記との近さを感じたから。

かれの日記は犯行声明でもなんでもない、ただのログだと思う。ライフログが万人に開かれているのなら、凶行の20分前までログを書くという自由もあるのだし、実際、報道で明らかにされている「実況」の文面を、私がフォローするユーザにまぜてTwitterのタイムラインに配置しても、全く違和感がない。

だから、「今日は歩行者天国の日だよね?」という呼びかけに、身の竦む思いがする。あれは誰に向かって話しているのか、あるいは相手なんていないのか。相手がいなければそれを孤独と呼ぶだろうか。しかし、それは私たちが日記やTwitterで毎日やっていることと、何の違いもない。

私の日記だって、たとえば「朝から雨が降っている」という記述を、ニュース特番で悪い人に割り当てられる低い声優の声で読み上げれば、似たようなものになるのかも…(ほんとあれはやめてほしい)
(略)
webなら書いたものが残る、という発見が、かれの中にあったのかも知れない。であれば、その発見から何処にも行けなかった不幸というのも、あるのかもなと思った。webがかれを救えたなんてことは、思わないが。
この人の書いたものが読みたいと思うことがある。更新されていると急いでクリックしてその人の生を確かめる。ならば自分もひょっとしたら、そうされているかも知れないと思う。
(略)