Wizardryと愛と憎しみ

僕はWizardryという息止めゲームを面白がっているのではなく、息を止めている間に、武器や転職のこととか、プレイヤーキャラクターの設定だとかを、勝手にもわもわ考えてしまう自分を、面白がっているのだと思います。

昔、立ち寄った漫画喫茶で、Wizardryの漫画を読んだことがあります。その漫画では、ゲームの上の出来事をストーリーのある漫画として成立させるためのこじつけが、たくさん施されているようでした。

たとえば、TILTOWAITという魔法は、ゲームの設定上は「核爆発を起こして敵にダメージを与える」ことになっています。しかし、それを一般的なファンタジーで想像される<迷宮>とやらの中で使うのは無理があるため、漫画の中では、「迷宮自体のもつ魔力のはたらきで、迷宮内では本来の魔法の力が発揮されないのだ(迷宮の外ではもっと強力だ)」という説明がされていました。

それを読んで僕が「知るか」と思ったのは言うまでもありませんし、その漫画にも<世界観>にも特に興味はないのでそのまま2巻を読まずにやめました。しかしそのような苦し紛れのアイデアを生み出す人の脳のはたらきは、偉大だと思います。

苦し紛れの設定を生み出すという土俵において、ベニー松山古川日出男と、キャラクターの名付けから無駄なサイドストーリーを考えてしまう僕たちの、脳の働きは同じなのだと思います。その不思議を愛しています。

ゲームとしてのWizardryは、たぶんもう愛していません。