自由市憂愁(リバティ・シティ・ブルース)

たとえば、テレビで流れている、トム・ハンクスがニューヨークの空港から出られない映画をぼんやり観ていて、空港の外の映像が出ると、そこで頭の中のスイッチが入って、360でGTAを起動して、そのまま車で空港までのドライブ(イベントが発生しないように携帯の電源は切って)が始まる。

これは、現実の経験とゲーム内の経験を結びつける、学習行動のつもり。

なぜ、そんなことをするかというと、仮想世界が自分に感情を引き起こす結びつきを強くした後で、ストーリーを進めたいと思っているから。

日本にはリバティ・シティみたいな景色はないし、私はほとんど車を運転しないし、このゲームには不慣れだし、で、ミッションをこなしているだけでは全く面白くなれない。

「はめられた、クソ!」とニコ(主人公)が言うとき、自分の頭の中にも、逃走経路や避けたい場所が、感情とともに浮かんでくるのが、理想的だ。

そんなわけで週に数回、ゲーム内時間では数日、散歩のつもりで家の近所を歩いたり、奪った車で島(ニューヨークでいうクイーンズ地区周辺に相当)のおもだった道を流したりしてみている。道順や地図は覚えていないが、徐々に「おれに縁のない場所」「なんとなく落ち着きそうな場所」など、土地勘が生まれて来つつあるのがわかる。

書き直しと追記

「お前単になんとかシティブルース*1って書きたかっただけちゃうんか」なエントリだが、Fallout3ゲーム内日記(ちなみに、ゲーム日記とゲーム内日記は別のカテゴリの書き物であることを強調しておきたい)をつけてるnopiさんに☆貰えたので、やっぱそうだよね! と思い直した。

GTAを楽しむために、マフィアやチンピラやニューヨークが出てくる映画を、もっとたくさん観るべきだ。

*1:ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)