書き手の空間と読み手の空間
長くならないように箇条書きでメモ。
- 雑念というのは、いくつかが同時に生まれたり、「この間のアレ」みたいに曖昧に参照されたりするものなのに、それがblogでは時系列ソートとカテゴリ分けしかないのは、いかにも不便
- ツリー化欲求というのをもっと大きく見れば、さかのぼって記事間に文脈を再構成する欲求とも言える
- 時間が常に前から後ろに向かって吹いているので、雑念がどんどん後ろに流れていって、結果的に「日記」というスタイルになるだけ。
- 「日記」のノードの並べ方(直線的に時系列に並ぶ)は、有る面、直感的ではあるけれど、ノードの並べ方には他の可能性もあるでしょ。
- 「日記」を綴ることがなにか特別な行為になっているのかも知れない。たとえば自分で書いたものを活用する方法が、「一年前の自分を振り返ると面白い」どまりなんだとしたら、そりゃ勿体ないっていうか、高橋の日記帳でよくね? って思う。時系列に並んでるっていう形式自体、別の可能性を疑う余地があるってこと。
- なんでもかんでも「ジケイレツで」っていうおじさんとかいると思うけど、それって自分では整理や再編集のスキームを持ってないってことなのよ
- そういう文脈で、wikiで何かできないのって思ってたんだけど
- 平行世界のどこかにある g:fragments では、キーワードや日記に、バラバラに書かれた記事が、編集的視点を持った誰かによって、ときおり、雑誌のようにまとめられられる、という行為が繰り返されていた
- (が、この世界ではそうはならなかった)
- 私は、この文脈編集機能は、ブクマが持つべきだと思っている。
- 必ずしも書き手が「まとめツリー」を提供しなくともよいし、「まとめ」が収録する記事が、書き手のものに限定される必要もない、と考えれば、読み手がそれをやってもいい。
- なぜ「ブクマ」の機能であって「日記」の機能ではないか。書き手だって、記事を書いたあとは、その記事の「読み手」になるしかないから。
- というか、「書き手が自分の書いたもののまとめをやる」という発想には、積極的に反対意見を表明していったほうがいいのかも。
- たとえば、あの、よく、ブログのサイドバーについてる「このブログのおすすめ記事」とかありますけど、あれ、自己紹介以上の意味ないっしょ
- おめーがおすすめするものがオレに意味があるかどうかとか知らんし。
- 意味を作るのは「読者」なのだ。これはもう、掛け値無しに。
- 別段、書き手がまとめ集をつくることは否定しない。「あるユーザの記事のまとめツリー」は、この機能の一部として実装すればよい。(ただ、そのとき、書き手は書き手ではなく、一人の読み手になるのです)
- …まぁ、このことを書くのはもう自分でも飽きました。
- ツリーに拘らなくても、一連のURLをグループ化して保管できる機能であれば、それでいいんじゃないかと思う。グループは無数に作ることができて、一つのグループが、読み手のそのときの一つの関心を表す。
- 要するに、私がしつこく(ほとんどこのことだけを言っているといってもいい)書いていることは、「記事」とは別の「読み」のレイヤーは、たしかにそこあるのに、なんでその「読み」は可視化されないの? ということなのだと思う。
- こないだ書いた、関心空間の「コレクション」機能も参照。
- あれはいいものです。
- 「読みが意味を作る」という流れであれを見ると、もうほとんどあれでいいじゃん! って思えるけど、あれは商品キーワードにリンクするっていう縛りがあるから…。
- 「読みが意味を作る」発想で見ると、過去のブクマ問題のあるものは「いったい何を言ってるんだ……?」と、鼻で笑えるようになる。
- 自分で書いたものを自分でブックマークすることに「セルクマ」みたいな特別な名前がついたりしてたじゃん。セルフとかなんとか関係あるか。あほくさ。