シャーロック・ホームズ 10の怪事件
2回目。前の感想は d:id:mutronix:20080818:p1 にて。
楽しみ方がわかってきた。
「ひょっとして、こうやって事件を解いているのと並行して、まったく別の事件が混入していて、我々はそれを追っている可能性はないのかしら?」
「いや、ここに書かれていることは、記述として全て起きたこと=過去なのだから、現在進行形で何らかの事件が起きる、ということはシステム的に考えられない」
「いやいや、そういうことを言いたいんじゃなくて、この事件は一点に収束するのか、という疑問。この本はコナン・ドイルが書いたわけじゃないんでしょ、コナン・ドイルが好きすぎる人がコナン・ドイルを好きすぎる人のために書いたんでしょ、そんなマニアによるマニアのための本で、事件が必ずしも一点に収束するっていう約束は、守られるとは限らないんだよね?」
…と、初プレイの人の間で、会話がメタミステリ的領域にあっさり突入した。
小説の中だけじゃなく、こんな会話が聴けるとは……。
かれらのミステリ経験そのものは、「赤毛連盟」についての説明を必要とする(つまり、ほとんど経験がない)レベルなのに、そんな人たちを、こんな思考に引っ張り込んでくれるなんて、いやー、このゲームは本当にすばらしいですね!(いや、かれらの素養もすばらしいんだけど)
通常の捜査でも、常識を存分に活用した議論になって、展開に華があった。
「ここに書かれている<貸金庫を使った>、これはちょっと怪しいですね、犯罪の臭いがします。だいたい、貸金庫を使いたいっていう客は、中に入ってその銀行の下調べをする、という下心があるものなんですよ。以前観た映画であったんですけどね…」
「**駅で工事をしているというが、それが**のためのものだとしたら、当局の許可を得ていない勝手工事かもしれないだろ」
「犯罪者が大手を振って工事して犯行準備をしてるってこと?」
「いやいくら舞台が19世紀だからといって、果たして、継続的に、そういう勝手工事が可能なのかな?」
「少なくとも、現場に行くことで、その工事が勝手な工事かどうかはわかるんじゃないの?」
一同「…(ガタッ)…そうか、公文書館があったか!」
などのくだり(一部脚色)が、とくによかった。
「解く」という主体的な行動をとることが、そのまま、プレイヤーに、小説世界人物とほぼ同等の立場で、論理と直観を働かせて思考することを促す。プレイヤーは、TRPG的なロールプレイを一切せず、小説世界に入っていくことができる。
ゲームと見るととらえどころがないが、それはこの遊びが、あくまで「本」としての没入を要求してくることの裏返しなのだろう。この本で遊ぶことは、「読書会」にも似た、エクストリームな読書経験でもある。このゲームで、よいプレイヤーであることは、そのまま、よい読者であることと同じことなのだ。久しぶりに遊んで、そのことを思い出した。こんな遊びは他にない。なので、このゲームは、生涯、ベスト10から外せないかも知れない。
それから、ゲーム上手い人は、何やらせても面白くする能力が高いと思った。上手いというか、取り組み方が真剣なのか。
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