サラエボ、希望の街角

story

http://movie.walkerplus.com/mv47179/ より:

航空会社の客室乗務員として働くルナ(ズリンカ・ツヴィテシッチ)と、空港の管制室に務めるアマル(レオン・ルチェフ)はサラエボで結婚を前提に同棲生活を送るカップル。アマルを愛するルナは、一刻も早く彼の子供を授かりたいと望んでいた。

あぁそうでしたそうでした(いつも、書き始めに苦労するので出だしは借りてこよう)。以下、私のまとめ。

定職についているのに、まともに携帯の料金も払わないアマルは、仕事中に酒を飲んでいることが発覚して、管制官のポストを追われ、6ヶ月の謹慎処分になる。結婚を前にルナはいらだつが、ふたりの仲は壊れることなく続く。

ある日、ドライブの帰りに車が接触事故を起こし、ふたりはアマルの「昔の戦友」に偶然再会する。「戦友」は、戦後回心し、厳格なイスラム教教徒として生活していた。

アマルは「戦友」から、かれらのキャンプでの仕事を紹介される。ルナは不妊治療の末、人工授精で子供を授かることを決意した。周囲の話もあり、ルナはイスラム原理主義に疑念を抱くが、人工授精の処置の日には傍にいてもらえるように、アマルが滞在するキャンプに乗り込む。

アマルはボスニア内戦で弟を殺され、自らも内線で戦士として活躍した過去があった。厳格なイスラム教のキャンプの中で、アマルは自分の魂の安息を見いだし、ルナが再会したときには、イスラムの男らしく髭を伸ばし澄んだ目をしていた。

キャンプで生活するイスラム原理主義の人々の慣習を、ルナは理解することができない。水浴び中に垣根を越えて男のいる方へ行こうとしたり、周囲を積極的に挑発するが、衝突も理解もなく、ルナはキャンプをあとにする。

キャンプからアマルが帰ってきて、ルナとの生活が再開するが、熱心なイスラム教徒になってしまったアマルとルナとの関係は、愛し合っていても衝突が絶えないものになりつつあった。アマルは、ルナの家族との会食でも過去の内線の話と信仰の問題を結びつけて、場を乱してしまう。ルナの人工授精についても、正しい出産ではないと言い、結婚前であることを理由に、ルナと愛し合うことも拒むようになった。アマルは町中のモスクに足繁く通い、毎日のメッカへの礼拝も始めるようになる。

結婚や出産にためらいを感じるルナは、人工授精の処置の当日、逃げ出してしまう。アマルは歓迎するが、ルナはアマルと夫婦になれる自信を失い始めていた。ルナは昔の友達と夜遅くまでクラブで遊び、アマルの価値観に反抗する。

ルナもまた、内戦の被害者だった。ルナの両親は内戦で殺され、生まれ育った家も、ルナの意志に反する形で「親を殺した」他人のものになっていた。平和が訪れたかのようにみえるこの街には、心を引き裂かれた人々の過去が横たわっていた。アマルは、その過去を宗教的に越えていってしまったように、ルナには思えた(…おっと、これは私の主観)。

ルナは、飲み過ぎて病院に運ばれるが、そこでの検査の結果、ルナはアマルの子を宿していることを知る。しかし、ルナの心は別の方を向いていた。

感想

デリケートな題材をていねいに映画にしていてとてもよかった。キャンプから帰ってきたアマルの顔が、澄んだ瞳のイスラム顔になっているのが、映画に説得力を与えている。序盤のちゃらんぽらんな顔を忘れてしまった。

序盤、ブツ切りにシーンが切り替わって、どうなるかちょっと不安になったが、顔をベールでつつんだイスラム女性と遭遇するところから話に引きが生まれた気がした。

連れの先生が「どのへんが希望の街角かわからん…」と言っていたが、それはやはり最後の、自分の家を訪ねるシーンと、その次の踊りを眺めるシーンではなかろうか。戦争を知らない若い世代に、「どうして君は私の苦しみを知らないんだ!」と、主人公が言うことは、ない。ルナが車の中から眺める踊りの列は、戦争があったことなど忘れてしまったかのようだ。それが希望だと言いたいのだろう。(加えて、ルナは自らも子を宿している)

コクリコ坂から」のラストにも繋がる。


78点。