最近の再生(幸せパズル、MAD探偵)

「幸せパズル」 (映画、Denkikanにて)

50歳を迎えた主婦が、突然ジグソーパズルの才能に開眼! パズルを通した新しい出会い! そしてジグソーパズル大会へ出場。優勝者はドイツへの切符が渡されます!……という。

優勝者がドイツ、というところで、ひょっとして……と思ったが、これはいいボードゲーマー映画。

ただし、「大会に出場しない人の言い分」の映画として。

主人公は、さいしょはこの楽しい遊びを一緒に遊べる仲間を探してただけなはずなのに、大会だかなんだか言われてのせられ、やりはじめたら「あなたお住まいはどちら? オホホ」なんて住んでいる世界の違いを意識させられることになる。なにそれ、しんどい……。生活があるのに、勝ち残ったところで世界大会とかホイホイ行くわけないだろ! 誰でも楽しめる、の「誰でも」って、結局、生活に余裕のある人に限られるんじゃないのよ?

……そこらへんの気分が、よく表現されている。

「そんなの当たり前だろう、生活は大事だからゲームより家のことを優先すべきでしょう」だって? わかってねぇな。

この映画の主人公は、最初、自分の生活にうるおいが欲しくて、なんとなく、「きれいな絵ができていくのが楽しいから」、パズルをはじめただけなんだよ。そこに生活の余裕なんて関係なかった。

それを「あなたは才能がある」と祭り上げて、パズルの世界に引き込んで、本人にそんな余裕がないのを見て取ると「あぁ、あなたはやっぱりここにいるべきじゃないかもね」って突き放しちゃうのは、「パズル大会! 優勝者はドイツへ!」なーんて盛り上がってる人たちなわけ。

もし、主人公が、「大会出場! 次はドイツ! 燃えるぜ!」とかじゃない、別の遊び方、別の「パズルのある生活」に出会っていたら、悲しい思いをしなくて済んだかもしれない。

もちろん、映画の中で彼らパズルマニアは「ここにくるな」なんて言ってはいないし、善男善女が自分の好きなことをやって楽しんでいるだけで、なんの罪もないんだけど……。

でも、この映画の主人公から見た挫折感、というのは、たしかにあるわけです。

ひとつの遊び方が、結果的に他の何かを無視しているかもしれない、という自覚はあるか? だとしたら他に何か、オルタナティブな遊び方・楽しみ方を考えられんものか? というか、そういうことは常に考えていくものでは?……と、去年のわたしはよく思っていたので、そこんところにこの映画がうまくハマった。

「わぁ、Ravensburger*1のパズルがいっぱいですねー」とか、ゆるーく観たいひとは、まぁそれはそれで。

「パズル用に特別にテーブルをあつらえたんですよ」という金持ちに主人公が軽くひいてる(趣味人の業の深さに対してではなく、そんなことをできるのが、生活に余裕のある一部の人だけなことに無自覚なさまにひいてる)、ということは覚えておいたほうがいいかも、だ。

「MAD探偵 7人の容疑者」 (DVD)

なんという講談社ミステリ、と思って見始めたが、作り手にそういう意識はなさそう(インタビューで、「こんな変わった探偵がいたら面白いんじゃないか?」とか素直な受け答えをしている)。かなり天然。

しかしヘンをヘンと強調しすぎない、映画らしい魅力もある。容疑者には7人の人格が宿っているが、そのことをかくだん特別なこととして描こうとしてないのがいい(そのことによるストーリーのヒキが弱い、とも言うけど……)。

探偵と(いないはずの)奥さん、部下の刑事とその恋人、4人で食事に行ってバイクに乗るシーンがよかった。

『殺す』 (J.G.バラード、創元)

あぁそうだ、おれはバラードが好きだったんだ、ということを思い出した。高校生の妄想をそのまま小説にして描いちゃった感。

*1:ドイツの玩具メーカーボードゲームのメーカーとしても有名