最近の再生(ヒミズ、ウインターズ・ボーン)
ヒミズ (映画)
検索するとやっぱ駄作っていう人も多いのだけど、冒頭の「寝て起きたら震災報道のテレビつけっぱなし(それが何になるわけでもないのに)」の感覚を「あー、これ俺だわ」って思えるかどうかで、評価が分かれるんじゃないだろうか。映画の展開やキャラクターは……なんというか、変な人がワーワーやってるだけ、という感じもした。でも、そんなことはどうだっていいな、という感想。
「シネマハスラー」の感想なども聞く。「被災地の扱いが…なめんな…」云々…。いや、「俺だわ」と思った人にとって、あれは東北じゃなく、心の中の瓦礫の山なのです。むしろこれは「被災しなかった人」のための映画、というか。
瓦礫の中に、自分も何か置き忘れてるようだが、何もできない。3月はテレビをつけっぱなしにしたり、twitterにへばりついたりしてみたけれど、いろんなことをいろんな人が言うだけで、何にもわからなかった。それより自分のことが大変。世間は出鱈目なやつらばかりだし、まともだと思ってた人達もバラバラになってしまった。
映画の中に、バスの優先席に座っていたキチガイが、「譲りなさい」とたしなめた女性を刺す、というシーンがある。そして、「優先であって義務ではないだろ!」と言う。これはフィクションだろうか。でも、私が知っているインターネットでは、「女性専用車両は女性優先ではあるかもしれないが義務ではない」という屁理屈をめぐって延々と、いい年したおっさんおばさんたちが「議論」してたりするよ。それと何が違うだろう。頭が痛くなるのは、どんなキチガイでも、言っていることに「一理なくはない」ということだ。
いろんな人がいろんなことを言うが、それらを憎むこともできない、どうしていいかわからない…と感じていた人、それは住田であるし、住田が目撃する多くのキチガイでもあるし、私でもある。というわけで、ラストではやはり泣いてしまった。
軽薄な奴め、とさげすんでいた、冒頭の教師のベタベタな言葉が、ベタだからこそそれを選ばなければならない、と、ブーメランになって、戻ってくるのだった。
駄作と言えば駄作。忘れ得ぬ駄作っていうか。
ウィンターズ・ボーン (映画)
この映画に感じる「善さ」はなんだろう、と思ったが、これはたぶん、氷(あるいは、湖の冷水)に閉じ込められてしまった「古き良きアメリカ」みたいなものじゃないのかな。
リスと犬と鹿と子供とが、どれが死んでも生きても、愛玩されても不思議ではない、同列の生き物に見える世界。「レッド・デッド・リデンプション」の冒頭、畑を荒らすウサギを銃で撃ち殺せ、といわれたときの感覚にも似ている。あぁ、ここでは生命の感覚ってこうなんだ、という。
ツイン・ピークスの街を貧乏と泥からこねなおしたらこんな感じかな、なんか秘密のクラブにシェリル・リーみたいな人がいるな……と思って観ていたら、シェリル・リー本人だった。