ワンダと巨像 (まだやっていた)

自分の中で、特別なゲームにし損ねてしまった。

やったりやらなかったりで10体目まで倒したところ。ボス戦の倒し方がベタすぎる。簡単、ということではなく、ゼルダメトロイドみたいなゲームでのボス戦の王道を行く、という意味で。

10体目の倒し方には、とくに強く、様式美を感じた。倒し方の性質上、ボスの顔をまともに見ることになるのだが、その表情が、「ゲーム好きならわかるだろ、ここを狙えよ」と訴えかけているようでもある。

全体的に、1体ボスを倒すと、やった倒せた、ではなく、あぁまたベタなやりかたで倒してしまった、また1/16だけ終わりに近づいた、と思う。

ゲームを遊んでいるというよりも、ものすごく綺麗に整えられた、「テレビゲーム」というジャンルの象徴みたいなものを、遊んでいる感じがする。このゲームでボスを倒すことは、キャラクターにとってだけでなく、プレイヤーにとっても、何かの儀式をやっているような効果があるかも知れない。…そういう気分にさせる。

最初からプレイヤーがこのゲームの儀式性を意識していたら、ゲームの中の主人公と同じように、「16体全部倒したら、もうテレビゲームやらない」という願をかけるようなこともできるかもなぁ、などとも思う。やるときには一回一体と決めて、週1体以上は進めない、というような潔癖な遊び方を自分に課して。

まぁ、そんなのつまらない思いこみだし、願を掛けたければ勝手にすれば、なのだけど。

ワンダと巨像 PlayStation 2 the Best

何かに似ているなぁと思ったが…、『どろろ』で、百鬼丸が魔神を倒すたびに、もとの自分の身体を手に入れて弱くなっていくときの、寂しい感じを思いだした。

なんでいきなりこんなことを書いたかというと

今日行った地元の電器店のゲーム売り場で、このゲームに「ワタシにとって特別なゲームです…」と書いた手書きのポップがついていたから。そういう愛は日記に書くといいよ、と思ったが、それを言うわけにもいかないので代わりに書いた。なんだそれ。