コビト・エルゴ・スム(同ネタ多数)

若干アルコールが入ってます。

奉仕の精神とかよくわかんないんだけど、ぼくにとっては自分のメモ書きがシームレスに人によって編集可能になってる、ってところがWikiのいいところであって、それ以上の「コラボレーション」はほぼ諦めてます。だってオレが社内のWiki文書の99%を書いてるんだもの。そんなみんながみんな知的生産に協力的だという場合だけではないしょう。むしろXPの本のように「石頭にどうやってWikiを書かせるか」「<感想>とか<第二回>とかいうダッセェWikiNameを書かせないためにはどういう教育をしたらいいか」とかいろんなアプローチの掘り下げ方があると思うし、そういうところまでフォローしていかないと内輪のコビトさん論議で終わってしまうのじゃないかしら…

誰にも書いて貰えないのはあんたの書き方が独占的だからでは? ということを言う人がいるのかも知れないけどそんなにヘンな書き方はしてないつもり。ページの所有権も主張してない。議論になりそうなところにはパラグラフに署名を入れるくらい。そりゃもちろん、物量としてぼくのかいたテキストが大半を占めていることによる心的障壁は大いにあるかもしれない。でもそれを取り除くために書かない奴のためにサービスして隙のあるテキストを書く義理もない。メモとして自然に書いてるだけ。

つまり、今感じている「自然さ」と、Wikiを成功させる精神との間には隔たりがあって、それは確かに協業を阻む問題だと思うのだけど、じゃぁこの「自然さ」はなにがいけないのか、分析される必要がある。

うー。というわけでWikiWay読みます。