3人ゲーム会

つつがなく終了。社交辞令でも楽しんでいただいたみたいでなにより。
4時間半に「ミッドナイトパーティー」「ガイスター」「ハゲタカのえじき」「カタン」「ロイヤルターフ」を詰め込む。もちろん全て二人は初めてなのでインスト込み。複数ラウンドあるものは端折ったけど、まぁこんなもんか。カタンは3人だったけど10ポイントで最後までいけた。

あからさますぎるかと思ったけど、うまい感じで軽→重でボルテージが上がっていったので成功といってよい。カタンを経て、ロイヤルターフをやるときに、それが只のの双六ではないということで、一回りゲーマー度が上がったことを実感してもらった…つもり。

こうやって自分の持ち玉で人を集めてはっきりわかった。「これでは不十分だ、ゲーム全体の豊かさから見たら、オレが今日紹介できたゲームなんてわずかな領域のことでしかないんだ、次の集まりではもっと別の楽しさを!」という飢餓感がつのり、さらにゲームを買いたい気持ちになるのだ。

斯くして、買う人は買う、買わない人はワードバスケットすらオレから借りていく(怒)という不均衡に拍車がかかるのである(あ、冗談ですからね、冗談)。

ドイツの家庭は、こういう収集欲をどう処理しているのだろうか。こういう欲に悩まされるのは日本人特有のオタクのメンタリティ*1がなせるわざであって、彼の地では、遊びは遊びだと割り切って、赤いポーン*2のついたゲームだけ買ってるんでしょうか。それはすごく大人だと思う…。

そういう意味では、年ごとに大賞ゲームの傾向が変わるのも、頷けない話ではない。ひとつの家庭が大賞作品だけを買っていったとき、そこそこバランスがとれないといけない、という感覚も働いているのでは。

*1:たとえば、まだ実現していない未来のことに関して過剰に投資してしまう心性、と定義してみよう。

*2:Spiel des Jahres ドイツ年間ゲーム賞受賞作、最終選考作、ノミネート作のこと。該当作品のパッケージには赤いポーンの印がつく