得るもの失うもの/手順について(つづき)

BSWで電子化されたゲームをやっていて思った。煩雑な操作や得点計算から解放されて、ゲームの中心になる駆け引きや思考が楽しめる、という意味では、電子化する意味は大いにあるのだけれども、操作が省略されて、楽しみが半減している部分もある。

たとえば、

  • カードを場に順番に並べていくときの楽しさ
  • 得点集計をしながら、得点ボードを駒が抜きつ抜かれつする楽しさ

は、省略してしまっては面白くない、手続き部分だと思う。

手続き部分があればよいのかというと、そうではない。ヒューゴ(ミッドナイトパーティ)というゲームがあるが、これは、サイコロをふって、お化けの目が出たら、お化けを「お・ば・け」と言いながら3歩動かして、プレイヤーを捕まえるだけの<双六>のようなもので、ちょっと年を取ると、全然楽しくなくなってしまう*1

「運と戦略」を、ゲームの対立する要素として、この二者がほどよくバランスがとれているものが、面白いゲームと言われることがあるけれど、「意志決定と手続き」にも、同様な匙加減が要求されるものなのかもしれない。

何かの意志決定をした結果、こうなってこうなってこうなりました…という、一連の手続きが発生するという所が面白いのだろう。ガチガチの思考ゲームに近い「プエルトリコ」に、プレイそのものの魅力があるのも、適度にこの「手続き」が取り入れられているからだろう。

プエルトリコ」で船長フェイズが終わって船が満杯になったとき、「ボー…」とか言って船を出しませんか? 僕は言います*2

参考:
http://diary.thegamegallery.net/bone5/archives/000010.html

*1:だからといってヒューゴがクソゲーだとかいうことではなくて、そういうのが楽しい年齢もあるということです、勿論

*2:TPOに応じて