「わかった」ゲームをどうやって楽しむか

ワードバスケット」のゲーム性はたいへんにわかりやすいもので、要するに

  • 頭の中に辞書検索用のインデックスができているか(「あ」ではじまり「の」で終わる言葉…みたいな感じの検索をするので)
  • 手札の周りが悪いときに思い切ってリセット*1できるか(五十音の前半の文字は使いやすく、後半は使いにくい)

ということに終始すると思う。ゲームのメカニズムはとても単純。勝ち方もとても単純。あとは、強いか弱いか、という競技性の世界になってしまう。

これが面白くない、という人もいる。僕が囲碁将棋や百人一首をやらないのは、ゲーム性を理解したあとはそこからひたすら下に向かって掘り進む世界だと思っているからで、そういう、強く「なる」楽しさというのは、ぼくの中では優先順位はあまり高くない。

そういう意味は「ワードバスケット」に強くなる、というのも、似たようなものかも知れない。段位があるわけでも協会があるわけでもない。強くなったからといって、知らない人に自慢できるたぐいのものでもない。ちょっと不毛な感じもする。ゲームがつまらない、というわけではなく、一つのゲームとして「わかった」後は、強いか弱いかの世界になってしまうのがどうかなと思うわけだ。*2

そういうときには、自分で「ゲーム」の枠を広げることにしている。

  • どうやったら強くなるかを考えるところまでがゲーム
  • ルールを初心者向けにモディファイするところまでがゲーム
  • インストを含めて、環境整備するところまでがゲーム
  • 人に面白さを説明して「やりたい」気にさせるところまでがゲーム

*1:手札がどうしようもない場合は、手札をすべてすてて、代わりにその枚数+1を山札からひくことができる

*2:ドイツゲームを中心としたアナログゲームの場合、そこに「運」や「マルチプレイ」という要素が絡んでいるので、そうそう簡単に「わかる」状態にはならない。たとえば、バックギャモンカタンに、その場その場でベターな手はあるけど、これやってれば勝てる、という必勝法はない