10年

夕方、ちょっとNHKをつけたら、震災10年の番組に高村薫が出ていて、イライラしながら「そんな対策してもねぇ…」と、いろんなことに文句を言っていた。

なんとなく同じようなことを感じていた。「んなこと言ったって、犠牲者が減るように、やるしかないでしょ」という正論の前には、この感じなんてさっさと吹き飛んでいいものだけど。

去年、水害にあった地域があって(どこだったかは、忘れた)、その報道映像で、床上浸水寸前の老夫婦の家が映し出されていた。老夫婦の家は、昔ながらの土間の広いつくりの家で、そこにドラム缶が置かれていた。

玄関にドラム缶がある家。そういう家から順番に水に浸かるし、壊れるのだ。その確率を飲み込んで、見ないふりをして、彼らも私も生きている。そこに、いきなりやってきて、「この家は壊れますよ」と、言うことは、とても残酷だ。確率的な問題でしかなかったものが、その人にとって、解決すべき目前の問題になってしまう。…仕方ないけど…。

行政のサービスによって全体の被災者犠牲者の発生する確率が下がっても、その分布は、いっこう変わらないかも知れない。何かを底上げする、という発想より、数値目標を設定して、それを満たしていない、低い値の箇所から目標値に上げていくやりかたをすべきなのだろうか。