紛失の不確定性原理

ロディアのメモ帳を差し込む革ケースが無くなった。それほど愛用していたわけではないが、表紙や使用済みページをケース裏に挟む込むなどできて、使いやすいものだと思っていたので、ないならないで、悔しい。ここ数日「見あたらない」と思っていたが、「なくした」と確定させることにした。ボールペンのインクでだいぶ汚れていたし…。そういうふうに思うと、ひょっこり出てくるのだが。

たかがメモ帳に革ケースを使うことの意味は乏しいように思われるかもしれないが、自分のようなずぼらな人間にとって、「現在使っているメモ帳」がわかる、というのは重要なのである。いろんなところに、いろんなものを置きっぱなしにしてくるので、放っておくと、手元にメモがない。それで、ストックから新しいのを下ろしてしまうのだ(そうして、ロディアのメモは切り離しできるから、この心的抵抗がずいぶん小さい)。

かくして自分の周囲には、最初の数ページだけ使った、オレンジのメモ帳がいくつもできてしまう。そうなるのは性分なので仕方がないとあきらめているが、そうすると、次に、「どれがメインのメモ帳なんだっけ…?」ということになる。

革ケースに入れて「とりあえずこれが今のメモ」ということにしておくと、その点あきらかになって、よい。(よいのか?)

去年の日記に、ロディアのことを書いていた。→d:id:mutronix:20040414

つうかこの時もオレは「カバーなくした」とか言ってるのか…

今では熊本でも、モールスキンのノートと一緒にツタヤに置いてあったりします。