自由度について
自由度が高いゲームが「いい」とは限らないわりに、「自由度」が魔法の言葉として作用するのが不思議だなぁと常々思っている。
結論としては、「自由度」によって期待される面白さのわりに、「自由度」の定義しているものが狭い(GTA的な手段の自由、シムシティ的な目的の自由、のようなことに主に代表されている)んじゃないかと思う。
脳内の試行錯誤や想像力を働かせる幅を「自由」と考えれば、自分にとっては「いいゲーム」と「自由なゲーム」はかなりレンジが重なってくる(そして、GTAを必ずしも大好きと言わなくても済む)。
質問者の方の問題意識と自分のそれが重なっているところがあるとすれば「いい加減、ファミ通語でしゃべるのやめようぜ」というところなんじゃないか…と勝手に推測する。
「自由度」「ゲーム性」いずれも、定義がはっきりとしないのに「自由度が高い」とか言われるとなんとなく納得してしまう。しかし一般的に「自由度が高い」と言われている属性には殆ど意味がない(できることが多いからって面白いかどうかには直結してないし、「高い」判断も謎)。そしてその意味のなさをフォローするようにアドホックな周辺概念が使われる。
GTAが「自由度が高い」のに面白く感じられないのは洋ゲーだから。なにごともバランスが肝心。FFが一本道なのに面白いのはストーリー性があるから。
適当こくのもいいかげんにしろって感じだ。
あと、今のゲームユーザに、そういうファミ通語がどれくらい有効なのか、とかいうのも興味ある。
ベスト5は暇なら書く。