日曜日プレイログ

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タルバは面白い。ガチ思考空間に笑う。メビウスにも並んだみたい。

ヨーロピアン(ドイツ)ゲームの情報の不完全性について

以下、思いつき。

タルバはかなりアブストラクトゲーム(というか、完全情報ゲーム)風味が強く悩ましい。私は囲碁も将棋も嗜まない。そういうゲームをやってみたいとは思うが、基本的な手筋すらおぼつかない程度の技術しかないし、それを深めようという気持ちにはなかなかなれない。実力勝負すぎるのだと思う。

しかし、タルバをやっていると、これはこれで「面白いなぁ」と感じる。

もちろん、思考の筋道や深さ探索が面白いという、アブストラクトゲーム的な楽しさもあるのだが、もしそれだけだとすれば、このゲームに対しても、「もっと洗練して、アブストラクトゲームとして売ってしまったほうがいいのでは」という感想を抱くと思う。

やはりどこか、そうではないところに、ゲームデザインのキレを感じるし惹かれる(これについてはまたレビュー欲が上がったときに)。

で、アブストラクトゲームではない面白さとは何なのだろうと考えるのだが…必ずしも「運の要素」が面白いわけではないことは、強調していいのかも。このゲームにおける運の要素は、いいとこ、「環境の制約」程度の役割しか果たしていない。

運=与えられた環境程度のもの、という扱いは、他の多くのドイツゲームも似たようなものだと思う。

一方で「運と戦略のバランス」みたいな言葉がある。ドイツゲームは、囲碁将棋のようなアブストラクトゲームとは違って、運の要素が盛り込まれているから初心者でも勝つ可能性があって楽しめます、という誘い文句もある。これは…まぁ、そうかなと思う。しかし、(毎度のことだが)間違いではないが、それが全てではない。この図式に、私なんかが感じる面白さが覆い隠されているのだとしたら、それはちょっと不幸なんじゃないかと思った。

「運と戦略のバランス」というのは、ガチが嫌いな人向けの誘い水として使い始めた方便だったのが、いつの間にか、そういう適度な運要素が盛り込まれていることが、ドイツゲームの一つの価値であるような勘違いをされるようになった。極端な言い方をすると、そういうふうにも言える。

まとめ

不完全情報ゲームだから親しみが持ちやすい(深く考えても仕方がないという割り切りができる)というのは、間違いではないが、そういうところだけを強調すると「子供のゲーム」と誤解されることもありそう。

もし不完全さが面白いのなら、カタンでダイスを振って「麦キター」とか言ってるときが一番楽しいはずだ…(また余計なことを)