Slice
金曜日、立卓の仕方についてちょっと考えていたこと。
- 結論だけ書くと、「今度の週末なんかゲームしませんかー?」という誘い方は得るものが少ない。仲良くなるのと、遊んだゲームの数が増えるだけ。まぁそれはそれでいいことなんだけど、はたしてそれって<趣味>なんですか、という。
- 行動のスコープを広く取ることで飽きに対抗したほうがいいのだろう。日付ドリブンではなく目的ドリブンで考えれば、「週末なんか」より多少はましなことができるだろう。
隣人が日記を書くのをやめてしまったときの残念感について。
- だいたいは、なんでもっとその人の書いたものを読んでいなかったのだろう、という、自分に対する残念な感覚。
- 「もうその人の書くものが読めない」というのは、読み手の勝手な感想だろう。
- 「一度お話してみたかったです」というのもある。しかし屁理屈を言うなら、話すだけなら、その人の日記がアクティブじゃなくても連絡くらい取れるはずなんだよな。…とか考えると、所詮、人への興味なんて、日記を書くなんてけったいなことをしてるという連帯感から生まれて来てるんだよなぁ、という寂しい認識に行き当たる。
- 寂しいというか、普通かそれ。
- 人が書くのをやめるたび、あなたが生きているうちにあなたをちゃんと読まなくてすいません、という悔悟の気持ちが、少しずつ、ゆっくり、降り積もる。それでもまだなぜか自分はこうしてる。耐えられなくなったら、自分も読み書きしなくなるのかも知れない。
- web日記に限らず、歳をとって読み書きという世界から少しずつ離れていくのはこういうことなんだろうか。自分が言葉を追っていた相手の死にどれだけ耐えられなくなって、読み書きしなくなっているのではないだろうか。