XBLAカルカソンヌはパッケージングに成功してるもよう

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20071118#carcassonne

20分で終わって2〜3人対戦が基本、というあたりがいい具合に効いてるのかも知れない。

自分にとっての、ボードゲーム一般のオモシロが何だったかを、少し思い出した。

  • ある状況下で選択肢がいくつかある
  • それぞれにその選択肢を支えるロジックがある
  • ひとつ選んで「えいっ」とその手を打つ
  • ロジックが「手」によって伝達される

喋らずに「手」を打つことによって、場のロジックをめぐる会話が成り立ってしまう、というのが楽しすぎるのであった。

オレは今**が足りなくてでも場の状況から△△は××して価格が…(中略)…だけど相手方がもし■■を選ぶようになったら…(中略)…らオレはこの○○を選ぶぜー

東京大学物語』なら(古いな)ネームにして2ページくらい稼げる分量の思考が、「えいっ」「うわーやっぱ来たかー」「だってするでしょ…」という、短い会話で伝ってしまう驚き。

そして、それらのロジックがゲームごとに違うことへの驚き。

そこにボードゲームのSF性みたいなものがあるんだよ、なんてことを、以前書いた気がする。

カタンの断絶性と破格性

この文脈で見ると、カタンが超好きな人は、カルカソンヌあんまり好きにならんだろうな、と、あらためて思った。

「空気読めよーそこは麦トップ交渉とか無しやろぉぉ」という言語化が楽しい人が、「えいっ」で会話できる非コミュのゲームを敢えてやる理由は、あんまりないんだよな。

逆に言うと、ドイツゲームの骨格を持っていながら、状況言語化欲に訴えるカタンというゲームはやはり破格ってことだし、それが売れた理由だと思う。