今日やったゲーム(1/1,2,3)

ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス

18時間くらい。3つめの神殿。今回は「おばちゃん」機能(神殿内の任意の場所にアンカーを打って外出・セーブできる)があるのでユルユル遊べる。

いろいろやらされて、最初の7,8時間(カカリコ村まで)はけっこう苦痛だった。はいはいブーメランね、みたいなおきまりの感じを味わうだけか、と、やる前からうんざりしてWii自体買ってなかったし。

しかし、我慢してやっていたら、考えが変わった。3Dゼルダというブランドは、ゲームに対するインタラクションを通して、一貫して情感を伝えようとしてるんだと。謎解きとか実はどうでもいい。それでかなり面白くなってきた。騎馬戦も、プレイヤーとしてやってるとしょうもないが、リンクとしてのオレに頭がスイッチした後は、そういう疑問自体浮かばなくなっていく。水路を泳ぐ、抜け道を歩く、ぶら下がるといったアクションの手触り、目にうつる風景、そういうものがゼルダであった。思い出せてよかった。

ゴッドオブウォー」「ワンダと巨像」みたいなゲームを指して「ゼルダ的な…」とかまとめちゃう評があるけど、それはインタラクションの濃度を無視してる。ゼルダにおいて「あーあそこを狙って落とすのかー」と考えるのは、おれではなく、リンクになったおれなのだ。

どこでプレイヤーがリンクに「なる」か、ということに対して、一定の時間が見込まれているような気がする。時オカでは大人リンクになった後の森の神殿(#4)だったけど、今回はゴロンの鉱山のボスあたり(#2)でつながった。その後、ハイリア湖に行かされて、すったもんだの末、泳げるようになるのだけど、このへんの勿体のつけかたが絶妙。あたかも、簡単に泳げたりしたら経験としてのありがたみがないっしょ? と言いたげ。

リンクに「なった」後の脳で湖を泳いでると、陽が落ちて夜になったとき、手足が冷たくなっていく感じがする。

カードヒーロー

まぁ普通。「**最強」「**安定」というのができやすいのは前作からの仕様? 自分はそこまで進んでないけど。

世界樹の迷宮

ひさしぶりに電源を入れてみたが、やはり、ウィザードリィに対する愛憎の憎の部分が増幅されてしまって鬱になるので、やらないことにした。「たたかう」「たたかう」「たたかう」ってAボタン押してるときの、口あいてる自分が大嫌いだ。

BNNのウィザードリィ本に載っていた投稿を思い出す。「みなさん、こんなゲームやっていたらINTが下がってLCKにも見放されてしまいますよ!」その通り(すべてゲームなんてそんなもんだけど)。そして世界樹にはそれを覆すエロスがないと思う(あるいは、それを見つけるまでの根気と暇が自分になかったか)。

セーブポイントが決まっていて、死を死として体感できないあたりにダルいポイントがあるのかも知れない。1フロア上に上がってきたときの「あー神様まだ生きてます」という感覚が希薄なんだよなぁ…。

ランドストーカー(VC)

一発芸になんちゃらシステムと名前をつけて、そのワンアイデアで通してゲームを作るなんて、当時はおおらかだったんだなと思った。プレイする気も起きなかったので、飲んでるときにゲー友の人に「ランドストーカーってさぁ、あれは、あれだけのゲームなの?」と聞いたら「そう、あれだけ。当時はあれが斬新だった」と教えてもらったので、それでプレイしたことにしよう。