Slice

sophistry.

煙草を1000円にして、実質損をする人はいないかも知れない*1。しかし、「1000円にすれば出費が痛いからヤワな人は禁煙するだろう」といった発想がまかり通るような気がして、好きになれない(煙草の販売会社はもっと別のことを考えているかもしれないが)。

予想されるダメージによって人間の行動を縛るのが好きな向きは、被弾したときの振動ショックのかわりに背中の低周波治療器から電流が流れるとか、自機が死ぬとリアルマネーが口座から飛ぶとか、そういう改造をほどこしたテレビゲームをやってみるなどどうか。最後まで一度も被弾せず一機も失わなくても、自分が不愉快になるということを、体感してみればいいのではないか。

sophistry.

もし私に喫煙の習慣があったとしたら、それが300円でも1000円でも、必要に応じて自分の生活をそれにシフトさせるだけだと思う。1000円なら痛いからやめるだろう、いやもっといけるだろ、なんてことを他人から面白半分に想像されるのはいい気分がしないと思う。

「近くで煙草を吸われると不快」ということと「煙草の価格が1000円にあがれば喫煙者は減る」ということの間のつながりを簡単に見つけられるのは、あるいみ才能だ。「おれの息子がゲームばっかりやって心配」と「脳科学でゲームが害悪という社会通念ができればゲーム愛好者は減る」を結びつける才能とも言う。

*1:正確には「ヘビースモーカーは経済的には痛いですが喫煙を控える分健康になれます、健康はプライスレスです。それに前々から禁煙するつもりだったんでしょ?」みたいな詭弁によって、ヘビースモーカーの損は帳消しにされる