日記 (an experience and a history)

朝:パンケーキ、ヨーグルト。昼:チキンカツサンド、カフェラテ、クッキー。茶:スコーン、コーヒー。夜:鯖の煮付け、シチュー、茹で野菜、赤ワイン。

勉強会3回目に参加。予習不足と能力不足で、内容は30%くらい(or less)しか理解できていないが、それが当たり前なので気にせずやる。積み上げでテキストこなす以外は、見取り図重視、復習重視で。

注文した「ドミニオン」が届く。いったい誰とやるつもりでこんなん買ってるの……。しかしそれはボードゲーマーの永遠の課題だろう。月イチの例会にいきなり持ち込んで「やりましょうよー」とニヤニヤすることもあるだろうし、MLに「新作お披露目会」の告知を出すこともある。ほかには……思いつかない。その文脈のヴァリエーションの少なさ、言ってしまえば「ダサさ」にうちひしがれる。

ならお前は「ドミニオン」で今から人と遊ぶ機会を作れるか、と問われると「よくわかりません」と言うほかない。そのことを考えたいから買った、とも言える。

このゲーム、プレイングが極まると、最初何枚金カードを引けるかどうかで、勝った負けたがあらかた決まる、という世界になっていくようだ(プレイヤーが最善の選択を繰り返すと、最初の引きが勝敗に占める割合がどんどん高くなる)*1。そして自分がそうまでやりこまないうちに、自分の周りの熱心なプレイヤーの間で、「ドミニオン」はなんとなく消費されてしまった。

そうすると、遅れて買った「ドミニオン」を広げても、周囲が強すぎて、遊ぶのにこちらが恐縮したり、遊ぶ以前に周りが飽きてしまっていたりする、ということが起きる。

これは確かに残念な事態だが、さりとて私は「そのとき遊んでくれる相手というのもあるから、そのときどきの波に乗っていかないと」という発想はしない。乗ったほうが楽しめるのは確かだが、「乗っていかないと」という義務感は裏のドブに捨ててきた。

誰かが「したい」と思ったときに、そこからいつでも、手頃な文脈で遊び相手を見つけられるべきだ。文脈がないときには、自分でつくるほかないだろう。つくるほかない? いやそうじゃないだろ。文脈を自分で作る機会があるのだから、そこは喜ぶところだ。

「波に乗っていかないとなにかと残念」、これは真実だ。しかし、乗り遅れた残念な状態から何かを選ぶこともできるのだし、波に乗った人と乗り遅れた人の立場は、遅れた人が足を引っ張らないかぎりは、対等なものだ。

だから私は、今更「ドミニオン」なんて買ったのだし、能力の足りていない勉強会にのこのこ出かけていくのだ。

*1:付け加えておくと、最初のカードセットの組み合わせは無数に選択可能なので、ゲーム開始前にカードセットを選択するルールで遊べば、こういう行き詰まった感じにはまずならない。