日記 (farewell father Brown)

Sが「笑い男」を読んでいるのを見て、ツタヤでサリンジャーを買う。ビートルズのカバーが数曲入っているブラッド・メルドーのアルバムを聴きながら「バナナフィッシュ日和」「笑い男」を読む。サリンジャーを買ったところまでは、今日が12月8日だということを忘れていた。(いや、特別、ジョンなにがしのファンでもないし、どってことないんですけど)

笑い男」は、記憶より哀切な話だった。これを初めて読んだ高校生の自分に、もっと読解力があれば、理解できただろうか。

子供たちのお守りを仰せつかっているだけの、おでこが狭くてちんちくりんの、コマンチ団の団長は、送迎バスの中での「笑い男」の語りによって、コマンチ団の子供たちの尊敬を集めていた。あるとき、団長は女の子に恋をする。そして、失恋する。団長の失恋で、子供たちが楽しみに聞いていた「笑い男」の物語は、あっけなく幕を閉じる。そういう話。

今読み返して気づいたことだが、団長は、この女の子と、どうやら文通で知り合ったようなのである。文通……いや実際はっきりとはしない(田舎からマンハッタンに出てきたハイスクール時代の友達なのかも)のだけれど、自分にはそうとしか思えない……。

団長は、語りによって自分を尊敬している子供たちを乗せたバスで、語りによって仲良くなった女の子を迎えに行くのだ。なんという、その……イノセンス……。

団長が女の子に送ったであろう、「語りのテクニックを駆使した、一通が無駄に長い手紙」を想像するだに、顔から火が出る思いがする。お前はオレか。って、勝手に妄想しているだけですが……。

日記の文体が好きと言われたり、日記でモテるかも、などと思ったことのある男は全員「笑い男」を読むとよいと思った。そして、語りと機智は何かを変えるかもしれないけれど、おおむね何も変わらないということを、早いうちに、知るといいと思った。

話の中で、団長は、関係が悪化して泣く女の子に対して、何をしてあげることもできない。何の役にも立たない作り話ばっかりしてるからだ。でも。

一緒に買った『ブラウン神父の童心』と、「笑い男」の間に、自分がこの日記で後生大事に抱え込んできたものがあり、それはおそらく、捨てはせずとも、車の後部座席あたりに乗せて運ぶべきものなのだと思う。しかし、私はこんな歳で、運転の仕方がわからないのだ。