日記 (imaginary youth)

injection

diary

雨が降って何だか寒い。

「ゴミを葬れば健全な青少年が育つ」も「ゴミを葬っても健全な青少年は育たない」も、大人の責任を忌避している(ゴミを葬ったあと・葬らなかった後の予想外の結果に関しては、個別の事例であり関知しない)という点では、主張として大差ない。「ゴミは絶対に消え去ることがない」ということを前提にして、たとえ自分がその表現にまったく賛同しかねるものであったとしても、そのゴミ(主観によるゴミ)とどうつきあうのか、付き合い方を社会としてどう教えるのか……あれ、何か陳腐だ。

ゴミ(主観によるゴミ)と共存するのであれば、その原則は貫徹されるのが望ましい。

近所にヤクザが住んでいても怪しげな宗教団体が住んでいても、かれらが不法なことをしていない限り(いや、していても、なのだが)、私はその存在を認めて、自分が死なないようにつきあう方法を考えなければいけない。私が? たぶん、あらゆる「私」が。

最近できたブックオフに入ったら、ジュリアン・バーンズ『10 1/2章で書かれた世界の歴史』が100円コーナーにあった。連作短編なはずだけど、短編集として読んでないし、内容ぼんやりとしたままだったな……と、買いかけたが、思いとどまってラノベを買って帰った。