シャーロック・ホームズは落語である

……ということを、読みながら思いついたのだが、その考えを掘り下げる根気がない。

作者・語り手が、状況を説明する技術のなかに、ホームズや落語が普遍的な楽しさを持っている秘密があると思うのだけど……以下言語化不能。あとは、同時代に向けて書かれたものを風俗の記録として読んでしまうあたりとか。

ホームズのパスティーシュというのは、キャラが好きなだけではなく、あの語りのフォーマットと幾ばくかの要件を満たすという興味からも、書かれるのだろうな、なんてことを思った。

何故こんなことを書くかというと

ふらっと観に行く予定の映画「シャーロック・ホームズ」が、どんな内容であっても、連打して回復できるための予防線。語りの手際と萌えの演出の巧拙が「ホームズらしさ」なのだと定義してしまえば、大抵の地雷は恐れるに足りない。

「こんなのホームズじゃない! 正典によれば……」あらそう。で、あなたにとってのホームズの本質って何ですか?