シャーロック・ホームズ

後半の映像による「謎解き」でなんとなーく納得させられるけど、まぁ(自分の考える)ホームズとしては……期待はしてないけど、やっぱ、ちゃうなぁ……な感じ。退屈せずに見られたけど。

シャーロキアン? な人ならニヤリと笑うようなものがいろいろ仕込まれてるみたい。そのへんは、あればうれしい要素が人によって増えたり減ったりして見えるので、とくに興味なし。原作のどこで出てくるんだ、っていう興味は湧くけど。逆に、峰不二子っぽいアイリーン・アドラーや、BL漫画っぽいH&Wといった、「原作にはない」要素みたいなものも、まぁこの世界ではそうなのね、と思えば、どってことはない。

自分にとっては、ホームズ原作の中で、設定とは無関係に重要なシーンがあって……それは、(前回書いたように)「じつに興味深い、続きを」と、ホームズが指を付き合わせながら問いかけるシーンなのだが、ここのところの描き方がぞんざいで、ずっこけた。

小説では、「続きを」「細大漏らさずお話しください」に促されて、依頼人の過剰な語りがはじまる。それは単なる事件の説明で終わっていない。説明と並行してホームズが別の確度から物を考え、意外な質問を差し挟むことで、単なる状況が、物語の舞台へとつくりかえられていくシーンでもある。このライブ感が、私がホームズを落語的だと感じる理由だと思う。

だから、依頼人の説明は、再現映像を使ってじっくり(語られた時間とそれを語っている現在の境目がわからなくなるくらい)見せないと、らしくない。

この「語り」といい「捜査」といい、ホームズとワトソンとは、状況に切り込んでいって物語を語らせるための、非常に優秀な仕組みであるはずなのだが、この映画では、その仕組みの優秀さが発揮されないまま、状況に振り回されっぱなしだったな、という感想を抱いた。

「ホームズとワトソンによって主体的に物語が開かれているか」というのはすごく主観的な判定を必要としそうだけど、これは「主体的に開かれた話は、二回同じものが作れない」と言い換えられないか。そういう意味ではこの映画は「なんぼでも同じ話が作れそう」。

あと、話のバランスにもちょっと疑問が。序盤、謎めいた言葉でホームズが呪われたりするシーンがあるのだが、特にそれに反論したりすることはない。どちらかというとホームズの変人描写にウエイトが置かれていて、ホームズ=論理と敵方=オカルトのせめぎ合い、というテーマはどうでもいい雰囲気。……と思っていたら、最後はやはりオカルトが「謎解き」的に解体されてしまった(あぁ、これはたぶんこの映画の最大のネタバレかも)。じゃぁ前半もうちょっと何か、その対立を明らかにするような仕込みが……

なんかいやな感じの感想になりつつあるので省略。

ウィークエンドシャッフルのPodcastでは「あからさまに続編につなげるような小細工ナニソレ」と言ってた*1けど、小説でもあのくらいの思わせぶりなはったり(他の話へのリンク)は普通にやってるので、一種のファンサービスになってるんじゃないかな。

まぁ、いろいろ書いたけど「これは違うだろ!」って口から泡飛ばして何か言うような映画でもない。面白かったです。

63点。

*1:追記:こう書いているけど、これを書いている時点では、シネマハスラーで「シャーロック・ホームズ」は取り上げられていない。何かの感想が頭の中で混ざって宇多丸声で再生されたのかもしれない……