日曜日プレイログ(サンファン、フィジー、はげたかのえじき)

数年前に遊んだきりだった「フィジー」を開封。「面白いが、これで喜ぶのは一部のマニア」という括りに入るような味わい。同卓した方を外見で「そこそこゲームやりそうな方」と判断してしまい、こんなものをやらせてしまって申し訳ございません……。

Kindleに読めもしない洋書を入れたりするのと動機は同じなのだが、私は「多少無理をしても、多様性のある土俵で遊ぶほうが、精神衛生によろしいし、持続性がある」、と思っている。初心者対応とは別の問題として、「わけのわかんないものを探す、紹介する」という習慣は失いたくない。

おそらく私は、「洋ゲー」だったボードゲームがドメスティックに根付いていくことに、諸手を挙げて賛成したくないのだろう。広く遊ばれるのは「やりこみがい」があって「バランスのいい」ものばかりで、いささか居心地が悪い。

(あ、検索で来る人のために具体的に名前を挙げておくと、「やりこみがい」があって「バランスのいい」とは、たとえば、カタンとかドミニオンのようなもののことを言ってます)。

それは勿論、いいことではあるのだが、ボードゲームを一種の「洋ゲー」として受容してきた自分には、そういうプレイヤーの増え方を見ても、単純に数が伸びている、とは思えないのだった。「ドミニオンって1日やってても飽きないね」みたいなことを言ってる人をTLで見かけると、愛好者が増えてるとは言っても、その受容の仕方は自分のそれと質的に違っているのかも知れないと思ったりする。

サークルの例会の参加者が、今より増えると、そのあたりの分離が少しはっきりしてくるような気がする。

他人のことはともかく、私個人としては、自分の遊んだそれを「洋ゲー」として再発見する必要があるんじゃないだろうか、と思った。それが今の例会でできることなのか、自分にそんなことをする十分な時間があるかは知らないが。

「フィジー」はよい洋ゲーだった。詳細は別途まとめる。