日常の中の何かの薄片

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ゲーム関連(あるいはゲームとは呼べない関連)の日常の記録はここに投稿してみることにした。

言いたいのはつまりこういうことだ。

おっさんらはそんな始終遊びのことばっかり考えて暮らしてるわけじゃない。いいとこ、一日のうち10分かそこらだったりする。しかし自分の暮らしを面白くしようとは常々思っていて、それが遊びという形をとることもある。おっさんらにとって、遊びというのは、日常から隔離された楽しい時間ではなく、暮らしをよくする何かなのだ。ときどき、そのセンスを確かめるための手段のひとつとして、ボードゲームで遊んだりする。

これがどこかで筋を違えて、不幸なことになる。本当はそこまで思っているわけではないのに、「ボードゲームで遊ぶのは**のため」という呪いを一度書いてしまうと、「**には勝敗派とコミュニケーション派がありますね」「私は4:6でコミュニケーションかな」「いやいやそんな二分法じゃないよ」などと、自分が呪いの中にいることを忘れて議論してしまったりする。……あぁ、これはちょっと別の話題か。

「最近のドイツゲームはシステムが一巡した感がありますね」という話を目にする。そうかいそうかい。でも、それ、そんなに問題ですか。遅かれ早かれそうなることは最初からわかっていたことだし、そうならないわけがないでしょ。

自分が面白くなれればそれでいい、ってところに落ち着くほかないんじゃないのかしら。その姿勢で何かを書き残すとするなら、レビューであっても、本質的にはそれは、「自分のセンスの確認」「面白くなるやりかた」なのではないのかね、と思う。

金払って買わされるゲームの傾向の分析より、自分が面白くなるための準備や工夫のことを、(ゲームに限らず)ちょっと真面目に考えてみませんか。

そういうのって、ゲーム会で一日中ドミニオンやってるときに出てくるんじゃなくて、日常のどこかでふっと思いつくものなので、書き留めて育てる必要があると思うのだった。