日記

evening

東京都では浄水場から放射性物質が検出される。ペットボトルの水を買ったり、「そんなことは気にするな」「乳幼児にまわるように買い控えろ」などの意見。

昨日のことだが、喫茶店に座っていると、横に座った30代前半のサラリーマン二人連れが、年収1000万貰ったとしてそれでも今の事務所に残るか…といった話をしていた。そんな収入が想像もつかないまま、その隣の席でぼんやりと40代を迎えようとしている私は、彼らから見て、明らかに「かわいそうな人」だろう。またたとえば、この隣に座った人が、若くて時間のある女子高校生であったら、私は明らかに彼女たちに比べて「終わっている」「いくらか死んでいる」存在だろう。しかし私はそれでも生きてしまっているし、死ぬまでの間、決定的な不幸にならないように今後ものらくら生きていくしかない。

なんとなくそういうことを連想した。

関東圏に住んでいたら、少しは必死に何か対策するかも知れない。それでも、最後には、放射性物質を、抗菌シートでぬぐえば取り去れるような存在としてではなく、死や不幸と同じようなものとして、これまでより少し多めに背負うことになってしまった、と思うほかないのだろう。

でもそういう話って、これまで何回も、「余命**日」みたいな、わかりやすい感動系の話みたいなものの中で説明されてきたんじゃなかったっけ。

contrib

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この代金を生活のどこから削るか、いうところまで考えないといかんもんだろうか。