echo

モナーが海外のweblogで人気

先行者」が流行ったとき不愉快に感じたのは、ほとんどだれも、情報の一次ソースを追求せず、紹介した侍魂の記述がおもしろかった、というそれだけの理由で、共通の文化コード(ミーム)になってしまったことだった。

どこか(日本だから?)で捻れてしまうのか、それとも二つは本質的に同じものなのか。

現実を笑い飛ばしたい。でもみんな、自分の「笑い」の感覚が正しいのか心配なのだ。笑うときはみんなと一緒に笑いたい。

画一化された価値観から逃げ出す真摯さは、容易に、もう一つの画一化された価値観になりうる。情報のソースが失われたとき、「ぼくたち同じセンスだよね」という確認の、無意味なエコーだけが反響する。

blogはジャーナリズムとしてニュースソースを重視するから真摯なのだ、と結論するのは、安直なのだろうけど、「先行者」を嗤っていたぼくたちと、「モナー」のオリジンを探そうとするブロガーの間にある距離のことは意識してよいと思う。