実家に帰ってもごろごろと本を読むだけで、いい歳して家のことを何一つしないのだけれど、普段はそれでいいとして、世話になったおばさんが癌で大学病院に入っている、などという話を聞くと、自分がいかに世間というものから切り離されているかがわかる。
母親は、見舞いに行くのが当然であるような言い方をする。それはまぁそうかもしれない。気に障るのは母親の言い方で、今日行け、明日行け、病棟はどこどこだ、日曜は受付がしまっている、などと、全く要領を得ない。
まるで、ぼくが内心おばさんのことを気の毒に思っていて、情報を与えれば飛び出してお見舞いにでも行くとでも、思っているようだ。勝手にこちらの心情をつくらないでほしいと云いたいが、そんなことを云っても通じないので黙っている。
弟の結婚相手が熊本に挨拶に来るという話も、昨日初めて聞いて、だからできれば家にいるようにしてほしい、電話しようかと思っていたけど丁度よかった、すぐ伝えるのもアレだったから、などとまくしたてる。こちらも、自分が情報を掌握して、ぼくの事情などお構いなしだった。そんな話をなぜすぐ伝えないのか。プールしておく理由が全く理解できない。
こういう感情を、ぼくが求めている善悪の判断能力や倫理基準と、どのように結びつけていいか、今はまだ、全然わからない。腹が立つことばかりだ。けれど、結びつけられるようになりたいし、その方向に少しずつ歩いていると思う。腹が立たなくなるということは、ないだろうけど、腹が立ったことをそうだときちんと理解したい。
弟から、父の日のプレゼントが宅配で届いた。誠実さとは何だろうか。父の日にプレゼントを贈ることが誠実さだろうか?