懲りずにゲー話。西日本新聞にkdgameの会のもようが、写真入りで紹介されたとのこと。「ボードゲームが、今また、静かな注目を浴びている」とかいう論調でしょう。注目ってどっからだよ!と思うんだけど…。

だいたい、「ボードゲーム再び」みたいに語られるのは、ちょっと自分の感覚とは、ずれていて、むしろ自分にとってこの趣味は、テレビゲームの延長線上にあるものじゃないかとさえ、思う。囲碁将棋麻雀や人生ゲームからは、断絶してるし。

これまで、ひとが家にくるとテレビゲームをやって遊んでいたわけだが、対戦ゲームだとだいたい、ゲストはそのゲームをやったことがないわけで、オーナーの圧勝に終わってしまう。これはべつに、勝ちたいからやっているわけではなくて、「面白さ」を共有したいと思ってやるのだから、勝つことは本意ではない。

だいいち、そんなことでは対戦ゲームの面白さしか共有できないわけで、ぼくは、家に来た人に「手持ちの一人用ゲームを無理矢理見せる、やらせる」ということもよくやっていた。「どう? 面白いでしょ? じゃ次これ」と、カセットをとっかえひっかえ、遊ばせるわけだ。これも、たちが悪い。*1

さまざまなゲーム性との出会い、面白さの共感、という体験を、もっと自然に、軽い形でできないのかと、常々思っていた。

というところに、アナログゲームが、入ってきた。1ゲーム長くて二時間、場所を選ばない。自分に関して言えば、テレビゲームとアナログゲームのゲーム性の違いを珍しがっているのではなく、「出会い、共感」の演出能力という点において、アナログゲームの方が道具として使いやすいと、思っているだけなのじゃなかろうか。

それを証拠に、テレビゲームでアホのように中古ソフトを買っていたぼくは、やはり、アナログゲームもアホのように買い集めてしまうのであった。

*1:そんなことばかりやってるからお前は友達がいないのだ、と言わないでください