■
多様性を享受しようとしている人と、「強い」「弱い」という発想をする人は基本的に噛み合わないですな。
たとえて言うと、ぼくがCDを選んでいる横に、高校生のメタル好きな人が二人してやってきて、ピンポイントでCDを手に取り「こいつ速い?」「なかなか速いよ」*1という会話してるの聞いたときの脱力感みたいなものか。
脱力してるとか言うと、偉そうだけど、実際には、自分が「勝ち負け」の能力を売りにしているプレイヤーでないから、多様性に対して開かれていることを売りにでもしないと、何も取り柄がないな、と思うのであって、噛み合わないというか、これはもう、やっかみのようなものですが。
たとえて言うと(いやこれはたとえでもなんでもないけど)、「歌留多」や「スピード」*2が好きだったり、コンシューマゲームで、アイテム全コンプするのに生き甲斐見いだしたりしてる人に、アナログゲームのシステムやルールの豊かさとか説いてるとき*3に感じる、切ない感のようなものだ。
あーこの人とは見てる場所が違うんだよなー、と、思う。
もちろんぼくも勝てばうれしいし、勝とうとする努力というのは重要なのだけど、ぼくにとっての勝つ努力というのは、「既に埋められた金塊を掘り出す楽しみ」に近いものじゃないかと思う。金塊というのが、個別のものごとに勝つ技術のつもり。ぼくが上達したいな、あったらいいな、と思うのは、いかなる場所でも金塊を発見して最速で掘り出す能力なのであって、いくら、特定の場所で大きな金塊を取り出してる人がいても「へぇー、それはおれにはできないなー」という感想しか持てない。
いや、これもやっかみなのだろうな。
普通は「噛み合わねぇなーアハハ」で済ませるのだけど、やはり自分の好きな人が、勝ち負け大事のプレイヤー体質だということを思い出すと、きつい。(結局それかよ)
どうしたら、いいか?
やはり自分も「勝ち負け」を気にするべきなんだな。勝ったこともないのにくだをまいているだけじゃねぇか、と言われれば、それまでなわけだし…。
勝ちますよ。はい。