ホワイダニット

「絶望と愛」と、たいそうなことを言ってはみたけど、結局これも「動機があるかないか」に言い換えることができる。30代がゲームをやる大きな要素はやっぱ「動機」。システムは相当捻らないと斬新なものにはならないし、はっきりいって、パクリや何かと何かの足し算でも構わないと思うのです。

たとえば、なんで「時のオカリナ」は最後までやるのに「風のタクト」は途中でやめてしまうのかというと、それはやはり、あの、変わり果てたハイラル湖とか城の姿を見て衝撃を受ける、という体験のあるなしではないかと。あれで「最後までゲームして世界を救う」という強力なモチベーションが出来ると思うわけです。

逆に「別にこれ、オレがやんなくてもいいんじゃねえの? 別にLAPDとかオレとは関係ないし。任務? 知るかっつの。インクリボンよこせ」と思ったときに、やる気が萎んでいくというのは確かにあることで。そういう意味で、バイオハザードだれるのかも知れない。

なんか同じようなことを誰かが言ってた気がするな。

ゲームというのは買わせれば勝ちなので、システムとかアイデアとかいった部分が重視され、最後までやる気が起きるかどうかというのは軽視されがちだけど、それはけっこうメーカーの人とファミ通の人の思惑であって、ユーザーとしてはシステムとかより「最後までやった感」のほうが重要だと思った。