自作ゲームノート 2
このままずっと、だらだらと御託を書き続けて結局なにも作らない、というのがぼくらしい気が、さっそくしてきた。ともあれ続ける。
「楽しくない」と簡単に言うが、「楽しい」の本質とはなんだろうか。大上段に振りかぶってもわかるわけがないので、とりあえず狭いところで考えてみよう。
よく「インタラクティブ」であることが楽しいという言い方がされる。しかしほとんどすべてのゲームはインタラクティブであり、インタラクティブなのに砂を噛むような感覚のゲームはたくさんある。自分の選択の結果が状況に影響を及ぼしている、だけでは説明がつかない。もう少し踏み込んで、「自分の選択と状況の間に不透明な部分がある」ことではないかと仮定してみる。
今考えているものは非常に限定的な「楽しい」のひとつだと、前置きして免責しておくことにして…。
たとえばベーシックなコンピュータRPGにおいて「ストーリー」のようなものをすべて無視したとき*1:
- 自分のルート選択が十分生存確率が高いかどうか
- 自分の武器+防具+道具のマネジメントでどの程度の生存確率があるか
ということの不透明さが、「楽しい」のではないか。
何の話だ。つまり、カードゲームであっても「場」「状況」と「手」「意思決定」はある程度分離していて、その間に遊びがあること、見えないことが、作業ゲーからの脱出口だと思うのだった。
この「わからなさ」からくる「楽しさ」をもっともシンプルに体感できるのが、競りゲームだと思う。少しシステムをひねることで、状況の不透明さ(今から競るものの価値が確かでない)・意思決定反映の不透明さ(自分が落札したものの価値はこれからの自分の行動に左右される)が簡単に作れる。
*1:あえて言うが、そんなものは本質からみればどうでもいい。