めんどいことが重要っぽく思える

わたしは綾辻行人館シリーズ」とかで今のミステリをぼちぼち読むようになりましたが、どの本にもだいたい冒頭に館の見取り図とかが書いてあって、それを参照しながら読めということになってます。ここにホール、ここが客室であるとか、人物の目線の動きを見取り図で追うことで非常に雰囲気は出ますが、結局だれが犯人で、どういうトリックを使ったかとかいう話になると、位置関係はあんまり関係ないです。がんばって丹念に読者の中でイメージを積み上げて緊張感を高めていって、実は違うところが大事でした、ええー! とかいってびっくりしたいので、それはいいんですけど。

書き手とプロセスを共有させることで小説世界に引き込んでいるというか、もっとひどく言うと、あるていど複雑なことを読者にさせて、やったぶんだけ没入度を上げているというか。

全然話違いますが「ノイ」というカードゲームがあって、これは手札から場の数にどんどん数を足しながら出していって、合計が101を越えるとアウトという遊びなんですが、まぁ基本的には、大きい数から優先して出していくだけで、そこに意志が介在することはほとんどないので、運ゲーっていうか冷静に見るとゲーですらないかもなんですけど、暇つぶしにはやってしまう。

どのへんが「ゲーム」っぽく見えるかというと、それは「足し算してる」というところでわずかに意志決定してる気持ちになる(ほんとはしてないんだけど)のじゃないかと思います。

そんな感じでしょうか(違うと思います)。