自分の日記のどこからがキモいか

http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20040715#aktagawa

「誰かダビングしてー!」という呼びかけがキモいのか、キモいとすればどこまでか、どこからか、みたいなことを思ったので(もちろん「キモいのか」という問題意識はこれ書いたときにははっきりしてなかったけども)、ちょっとまえにこういうことをやってみたのですが、マジレスがついて終了した(いや、ダシにつかったわけではないです、コメントくれた人ありがとうございます)。

ぼくも、投げっぱなしではアレなので、そのあと携帯から自分なりにオチがつくように書き足してしてるけど、そのへんの収拾のつけかた(スタイル)がキモいのかもしれないと、思った。

やりすぎるとこんな感じになる。

コメントONというか、本来的なブログの「記事」的な使い方を逸脱して、使えてしまうというところに、問題を感じる人がいるのだと思う。

一つは単に子供っぽいということ。

もう一つは、普通のホームページでこういうことをやると、一人で盛りあがって、寒い結果に終わることが多いので、そういうリスクを負わずに日記仲間でこうやって遊べてしまうのは生ぬるい、ということ。(サイト持ちの苦労を知れ、みたいな感じの)

まぁ、常日頃からこんなのばっかりだったら困るけど、ときどきは、自分の声がどこまでとどくか試してみたくなるのではないか。それを確かめたら、また自分のことをやればいい。

声が届く、というのは、アンテナの被登録数やカウンタの数では計りきれない、どれだけの人が自分の日記を読んでいるか、だけではなく、どれくらいの人が、自分の気分を共有してくれるのか、といったことではないか。

そういうことを知りたいと思うのはばかばかしいかも知れない。

でもぼくは、「サイト持ち」の人が言うところの、「書き手」と「読者」という関係がしっくりこないのだった。読者って…。

話はとぶけど、熊本市のアーケード街にも、夜な夜なギターを持った若い人があらわれて、あちらこちらで演奏をする。その前に座って膝を抱えて聴いている人もいる。その人は本物のゆずとかじゃないのに。

僕も、そういうのを見て「なんだかなぁ」と思うけど、その「なんだかなぁ」は、公共の場所で歌っているはずかしさであるとか、ろくにコードも知らないのに人前で演奏するなであるとか、歌っている人に向けたものではなくって、「今そこで膝を抱えてうっとり聴いているだけのあんたは何なのだ?」という方向に、向けられてるのだと思う。

あでも、基本的にはうるさいです。ダイエーの前で歌われると買い物帰りで腹が立つのでやめていただきたい。