ギョーカイの閉塞感について

http://d.hatena.ne.jp/hourei/20041003#c
コメントに書こうと思ったけど長くなったのでこちらに。

批評というのかどうか判りませんが、つねづね思っているのは、ある分野が発展するには、概念が発明されて、その概念を他の人が使うようになる、ということが重要だということです。一人の鋭い人がそれらしい事を言って「なるほどー鋭いー」とうなってるだけでは全体として進歩がないのではないかと思います。

どのジャンルでもそうだと思いますが、ボードゲームでも「ニュースサイトもうイラネ」「感想サイトもうイラネ」と言う人がいます。あちこちでいろんな人がいろんな事を言っているのを、労力を費やして読んでまわっても、「…で、何なの?」と言いたくなることは、僕も確かにあります。

しかし、その徒労感は、サイトの乱立が問題なのではなく、それらを繋ぐ言葉、編集的視点が欠けているところから来るのではないでしょうか。それぞれ使っている言葉がバラバラだから、どれだけひとつの視点が鋭くても相対化されてしまって、印象批評と同じ「それはあなたの意見ね」的な受け取られかたをしてしまう。僕は現状をそのように理解しています。

「他の人に通じる概念」というのは「類型化」ということにつながり、これはWaseさんも懸念を表明しておられるように問題があります。しかしそれより問題なのは、「私の感じたオモシロさ」が「私」の中で閉じてしまうことではないでしょうか。

問題点ばかり述べても仕方がないので希望を言いますと、なんらかの「業界誌」が必要なのではないかと考えます。すでに、ゆうもあに「Spiel」という雑誌がありますが、これをもっと厚くして内容を増やしたようなイメージです(Spielの内容に不満があるわけではなく、記事のバランスはたいへんよいと思います)*1。もちろん印刷物である必要はありません。

  • 協力して議論していける
  • 書かれてあることがあるていど信憑性の高いものであるとして、関心を持った人に読まれていく
  • そこで使われた概念が、考え方の基礎となってオモシロさの再生産を促す

という段階を踏んで、発展していくことを期待しています。

*1:後記:言葉が足り無そうなので補足しておきます。Spielに不満は持っていませんし、僕が言っていることに近い感じの編集方針で作られていると思っています。ので、Spielという雑誌のことをさしおいて「雑誌つくっては」と言っているわけではありませんし、そういう情報のノードにSpielがなっていけばいいなと思っています。ここで言いたいのは、「ニュースサイトつまんねー」「感想サイトつまんねー」→「斬新な視点を!」という考え方よりも、そういうものをとりまとめて流れを作っていくことが必要なのではないか、ということです。その一例としての雑誌という喩えです