日記で死なない工夫

某所のやりとりを見ていてなんともいえない気持ちになる…理屈どうこうという問題以前な感じ…。

「ふーむ、それは困りましたねぇ、どうなることやら…」とか腕組みして自己完結してる感じの、えーとこないだも書いたけど塚地の持ちキャラっぽい人が出てきて、それに半切れで周りの人が絡むコントみたいな…すいません…笑ってるわけじゃないですが。

どうも言い合いに勝てそうもない、あるいは、この人たちの言ってることの論点がわからない、と思った場合は、文体を複数持てばだいぶん楽なんじゃないか。少なくとも日本語には一人称代名詞がいろいろあるのだから使い分ければよい。

馬鹿が目立たない工夫

このエントリの対偶は「馬鹿は慇懃にするほうが馬鹿が目立つ」ということであり、明らかな皮肉だけども、一方で真面目な提案でもある。

日記の言い合いでけちょんけちょんにやられて、しかも、自分のどこが間違っていると言われているのかよくわからない場合、批判を自分の人格に対する攻撃だと考えがち。実際には人格といっても日記内自分にすぎないのだが、なかなか自分と日記内自分を区別するのは難しい。

そういうとき、「私」を「おれ」に替えて、[murmur]だか[whisper]だか[mumble]だか、ともかくそういうエントリで全く別のことを書く。(注意:このときいくら凹んだ状態でも「へこみました…」みたいなことを書かないこと。エントリをわけた意味がない)

そのような一貫しないエントリを書くことで、少なくとも、日記内の自分と、かき分けている自分という二つの階層が生まれるので、日記内自分が酷い目にあっても、有る程度耐えることができる。

自分についていえば

僕はそのようにしてかなり自分の馬鹿をごまかしている。具体的には

  • 一人称代名詞を変える
  • 文体を変える
  • 使い分けのパターンに飽きたら日記のバージョン番号を上げる

など。

リアルで会うひとにときどき「なんかたまに日記にポエミーなことを書きますけど、あれはモテのための読者リサーチなんですか」と聞かれるけど、どっちかというとリスクヘッジっていうかポートフォリオみたいなものであり、非常時に日記内自分が死なない工夫だとも言える。

やりかたが汚いかも知れないが、なんかちょっと言われただけで萎縮して「心を痛めたので閉鎖します」ってなるのよりは、ずっといいと思う。

まとめ

たかだか日記なんだから、文体や主語がころころ変わってもだれも文句を言わない。あんたの日記はそんなたいそうなもんではない。文句を言われるようになるのは、上に乗せる理屈がかなりまともになったときだし、そんなのはずっと先のこと。だからのらくらやってもかまわない。