血液型 4 そしてゲーム脳まとめ

id:summercontrailさんにお返事いただきました。うーむ…

 mutronixさんが"科学でも何でもいいけど、ある理屈から、一足飛びに人間のふるまいを規定しようという態度がヤバい"と書いていますが、その通りですね。反証可能性だとか批判合理性を無視した一足飛びの論理を、一般に非科学的と呼ぶ。そして、非科学的なのに一見科学の衣をまとったものを疑似科学と呼ぶ、と思っています。まあ名称は何でもいいんですが。

「科学でも何でもいい」と書いてますので、科学も含みます。ここで疑似科学を問題にしてるわけではないです。

「科学的かもしれないけど、そんなことを言うのは良くない」という主張では弱すぎる。

 たとえばゲーム脳理論が実際に根拠がある(テレビゲームで脳がおかしくなる)のなら、森さんの主張が正しいことになるから、テレビゲームを追放した方がいいことになります。これは(2)生まれつきではないから、誰かを決定的に傷つけるとかいう問題はそれほどないようにも思うし。けれど(1)前提からして非科学的だから、ゲーム脳理論はそもそも理論として否定されるべきなわけです。

見解の違いというより、問題にしているところが違うんだと思いますね。

僕は、個人的には、実験結果としては「ゲーム脳」と定義されるような状態は、あるかもしれない、と思っています。

だからこういうことを言うわけで。

問題は森昭雄(さん)の実験結果を、人文的なレイヤの議論なしに、いきなり「ゲーム脳になるからやめろ」と、科学の後ろ盾をもって100%正しいことであるかのようにしてしまうことだと思います。

別の喩えをしますと(極端な例ですが僕には同じ形に見えますので誇張して書きます):

  • 1.「交通事故は何故多発するのか?」
  • 2.「慣性の法則が働いているからだ」
  • 3.「そうか、制動のききにくい自動車は禁止しよう」

ここで、2は、何かの説明にはなっていますが、そんなところまでさかのぼる必要はないでしょう。ふつう、2のようなことを言われたら「だから何?」と思うでしょう。

なぜ、自分の正しさを確かめるために「科学」にさかのぼって、100%自信をつけてでないとものを言わないのか。

なぜ、「ゲームばっかりしてたらバカになるだろ、さっさとやめろ馬鹿者」と、父親が息子のゲーム機を踏みつぶすようなレベルで、話をせずに、「ゲーム脳」という上位の理屈に頼るのか。子供からゲームを取り上げた責任を、そんな<科学>理論にたよって自分は知らん顔をしていたいということなのか。

血液型に関して言えば、学校で自分の子供が、血液型について何か言われて帰ってきたとき、親が最初に言うことばが、「そんな非科学的な主張を学校でも認めているのか!」「なぜそんな俗悪な情報をテレビは流すのか!」なのか。「そんなこと、誰に言われたんだ?」じゃないのか。

アンチ血液型でテレビ局に威勢のいい電話をする人は、科学的な正しさを検証することに血道をあげるあまり(本当に24時間そんなことをしているかは不明だけど)、ほんらい自分が判断するべき責任を放棄しているのではないか。そういう主張です。

見えない条件

summercontrailさんが問題とされている条件に反対するわけではありません。僕にとって問題にする優先度が低いということなんだと思います。これに僕が重視している条件をはさませていただくと

  • 1)不当な基準≒論理的に破綻している判断基準に基づいて
  • 2)「生まれつきの」、自分ではどうにもならない属性を材料として判断し
  • 2.5)本来すべき議論の枠を飛び越えて
  • 3)相手の「人格」について断定的な評価を下すこと

であって、いくら1)2)がクリアされても、2.5を無視するようなアンフェアな議論を見ると、ちょっと待ってよ、と言いたくなるのです。

正直、

  • 1)が成立するかどうかというのは確率的な問題でしかない(森昭雄さんより優秀な研究者はたくさんいるでしょう)し、
  • 2)が本当に客観的に判断可能かどうかは疑わしい(たとえば「ゲームをする」…というのは、本人が選択することですが、そのように客観視できるのはその外にいるからでしょう。自分ではどうにもならないかどうかは自分にしかわからないし、正常な判断ができる状況に皆が置かれているわけではない)

と僕は思っているので、それほど強い興味があるわけではないです(問題だとは思いますが)。

問題にしている箇所が別なのですから、summercontrailさんの主張に乗っかって、別の次元で自分の主張を述べただけ、というふうにも言えます。であれば、ごめんなさい。

もちろん…

非科学的な言説の流布によって、正しくものを見ることができなくなっている状態がある、ということは僕も認識していますし、「発掘あるある大辞典」は見ていて、その恣意性に胸が悪くなるときもあります。


しかし…血液型で職場のシフトが変わる、という話を聞いたとき、僕の中で最初に引き起こされる感情は、「そんなもの非科学的だ!」ではありません。「そんなことでしか決められないのか?」です。