十二国記(を読んでないこと)について

英伝もそうですが、人が読んでいると言っても自分が「へー」とほっとくときというのは、話を聞いている限りキャラ萌えじゃないかそれ…と思えるようなときで…成長してわたしの前を通り過ぎていくキャラクターにどうやって感情移入したらいいのかよくわからない場合がままあり、人物が「イイ」と言われる小説はあまり読めません。
「ここに込められた<想い>だよ!」とか言われてもそういう機微がわからないので…というか、文学的な手法、文体や象徴や展開を駆使してそのような心情に行き着くのであれば理解できると思うのですが、<想い>とか<いたわり>とか、そういうものをブラックボックスとして与えられてもよくわからない…
昨日風呂の中で『R.O.D』の2冊目をめくっていましたが、「彼は〜ねばならない、なぜなら、彼が**だからだ」というような記述がダイレクトにされていて、あぁこれがラノベというものなんだよな、と思いました。モジュールとして既に職業や物語上のロールが与えられていて、名前を持ったキャラクターはその「べき」に従う、という…これは下手に書くとオブセッションを持った変な人ばかりが出てくる話になるので、オブセッションに見えないように、上手に流れで必然性を作っていく能力が、作家的には要求されるみたいです。
ライトノベル、と定義されている本は、そうでない本よりは速く読めるので好ましいですが、人が傑作と言ってる『猫の地球儀』も『やみなべの陰謀』もよくわからなかった…読んだのはかなり前ですが…みためのイージーさに幻惑されているかもしれないです。そういう状態で「キャラ小説かよ、ヘッ」とか言ってもなんの説得力もありませんが…。
無駄に凝ってるもの、無駄に面妖なものが好きなので、やはり、ハイ・ファンタジーというか、『ライトノベル☆めった斬り』の記述に倣えば「小屋が出てきたらその見た目や寸法まで全部決まってる」ような、そしてそれを書かないようなもの*1が好みなのかもしれません。十二国記はそうではない、と思っていたのですが、解説を読むと全くのサイエンス・ファンタジー(ここでいうサイエンス、というのは、ある論理法則が世界を貫いているという意味くらいのサイエンスです)らしいので、興味が湧きました。

*1:書いてあると、読まないといけないから