ジャンルの歴史を学ばない若者にジャンルに詳しいとしよりが老婆心であれこれ言う、ことについて(1)
上の話をふまえて、一般論として考えてみる。
あるジャンルが成熟して、歴史が築かれると、人間ひとりが「把握できない」「後追いで勉強するのがしんどい」局面がおとずれる。そうすると突然、それまでリアルタイムで楽しくやってた筈の人が、入門者に対して「まずはこれから理解したほうがいいよ」と、おせっかいを焼き始める、ように見える。その話を聞く気がない入門者にとって、そういう「歴史」を語ろうとする年寄りは、鬱陶しいことこのうえない。「オレの好きにさせろよ、いいじゃん楽しんでるんだから」、というわけだ。
なぜこの対立が生まれるのか。経験者は入門者に対してやきもきして、善意で言っている筈なのだが、それが通じない。
経験者の善意とは何だろう。そのジャンルに踏み込んでいくなかで、自分の効率のよかったこと、悪かったことに対して、自分が得た学習メソッドを教えてあげたいのだと思う。入門者が知れば、効率よくその世界に入っていけるし、それによる快も最大になるだろう。
経験者側からすると、学習メソッドを学ばず(基本を知らず)「快」だけで終わって「快を最大に」しようとしないところが、ときに腹立たしく思えたりする。楽しみたいならなんでちゃんとやんねぇの? ということだ。
…具体的に言うと…あぁ、いやこれはやめとく…。あるでしょいろいろ。
で、入門者が経験者の学習メソッドの提示に拒否反応を示す理由について考えてみる。学習というと偉そうなので「認識深化メソッド」ということにしておく。
- a-1)認識を拡げて楽しむ気がない
- a-2)認識の拡がる楽しさは理解できるが、手を広げる余裕がない
- 今これが楽しすぎなので、わかってるけど後回しになってる場合。
- b)経験者の提示する認識深化メソッドが信用できない
- 「あんた誰?」みたいな場合。
…というところで力つきた。続きは次回。