偶然でもやりとりの敷居が低いほうがいい

「偶発的な出会いはそんないいもんではない」と思える時点で、かなりモテなのでは。これは確かにそう思う…いや自分がモテということではないけど…「とりあえず始めてみたけどなんもリアクションないよ! 日記ってつまらんよ!」みたいな人がいたときどうするか、という話ですね。昨日書いた話とは対象が違うかも、です。

「偶発的な出会いがあれば、あとは個人の対人能力でなんとかなる」という主張に、sugioさんと僕は、別方向から「うそー」って言ってることになるでしょうか。

僕が思うのは、仮にやりとりの敷居が低くなっても、「起きたら3時だった…OTL」みたいな、独り言日記を繰り返してる状態の人にとって、他人を求める、自分が何であるかを決める、というのは難しいよなぁ、ということです。

日記的な自分が何であるかわかってないのに、他者を欲望するなんてことは、できないんじゃないかと。

日記的な自分、そんなの「モニタの向こうの生身の人間」に決まってるじゃないですかぁ、人間同士のふれあいができればいいじゃないですかぁ…という理屈を、僕はあんまり信用してないです。結局、書かれたものが、日記の自分なんだと思います。

書かれた自分としての自分の育て方として、キーワードを軸にした、言葉のトライブみたいなものに自分を所属させることもできるんじゃないかなぁと、いうのが、最近の考えです。

それはそれで、安易かもしれませんが。

メモ

日記コミュニケーション―自己を綴る、他者に語る (現代のエスプリ no. 391)

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ウェブログの心理学

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お、今気づきましたが、同じ方が携わっておられるんですね。5年の状況の変化でどう書き方が変わっているか、読み比べてもおもしろいかも。